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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

選手たちが五輪のありようとスポーツの価値を語る意義~五輪閉会、地方紙の社説論説

 東京五輪閉会後に大会を振り返った地方紙、ブロック紙の社説、論説の記録です。
 総じて、選手たちが技と力の競い合いを繰り広げたことは好意的に評価しつつ、新型コロナウイルス禍で開催の意義が二転、三転しながら強行されたことや、国際オリンピック委員会(IOC)の拝金体質には批判的、懐疑的である点が多く共通しているように感じました。
 特に印象に残ったのは「もう腐食はごまかせない」との見出しが付いた信濃毎日新聞の8月9日付社説です。五輪大会やIOCの“腐食”ぶりを指摘した上で、「『選手に罪はない』との声も聞かれる」としつつ「『選手第一』の本義は、競技者自身が五輪を考え、発言し、IOCや組織委を突き動かす主体性の発揮にあると信じたい」として、コロナ感染収束後にでも選手有志が集まって東京大会を振り返り、世界に意見を発信することを提起しています。
 自らの利益のみに腐心し開催国の感染状況にはまるで関心がないIOC、政治的思惑からか「五輪ありき」で突っ走った菅義偉政権や小池百合子都政の惨状を見ながら、そうした場で繰り返される「アスリートファースト」のフレーズにわたしは怪しさを感じていました。また、選手たちが「大会が開催されたことに感謝している」と口にする光景がしばしば報じられながら、その感謝の対象は大会関係者が中心で、コロナ禍でひっ迫の度を強め五輪どころではなくなっている医療現場に思いをはせている様子があまり伝わってこなかったことに、釈然としない気もありました。あらためて選手たち自身が五輪のありよう、社会の中でのスポーツの価値と自分たちの存在をどう考えるのかを語ることには、大きな意義があるだろうと思います。

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 以下に、各紙サイト上で読むことができる社説、論説の見出しと本文の一部を書きとめておきます。

【8月9日付】
▼河北新報「東京五輪閉幕/残した課題はあまりに多い」
 https://kahoku.news/articles/20210809khn000007.html

 原則無観客で、チケット収入を失った組織委の収支は赤字となることが確定的。つけは東京都民や国民に回り、今後、負担割合などが大きな問題となる。開催決定のプロセス、準備や運営の問題点なども含め、全般的な検証や透明性のある議論が求められる。
 過度に商業化してきた五輪の限界を露呈した大会でもあったが、新しい在り方として「東京モデル」を世界に提示できたかどうかは疑問だ。
 大会後の遺産(レガシー)も問われる。東日本大震災からの「復興五輪」という理念は、十分に発信できたかだろうか。今後も理念を継承していくため、地元からの強いメッセージが必要だろう。
 「多様性と調和」を掲げる中、複数の式典関係者が過去の差別的な言動を問題視され、直前に辞任・解任となった。パラリンピックは、このテーマもより注目される。

▼秋田魁新報「東京五輪閉幕 異例の大会、徹底検証を」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20210809AK0011/

 当初は簡素な五輪を掲げたが、最終的な開催費用は関連支出も含め3兆円超とされる。900億円を見込んでいた入場料収入は大半が消えた。経済効果は期待できない。
 「復興五輪」でもなければ「コロナに打ち勝った証し」の五輪でもない。国際交流の場も多くが失われ、何のための五輪だったのか。開催意義はいまだに曖昧なままだ。
 世論を二分してまで開催した異例の大会の詳細は記録として残さなければならない。政府、東京都、大会組織委員会には徹底した情報開示による透明性の高い総括と説明を求めたい。
 膨らんだ開催費用はどう使われたのか。コロナ対策は適切だったのか。多くの問題点を整理し、検証しなくてはいけない。国民だけでなく、世界にも報告する必要がある。それがコロナ禍で開催した五輪のレガシー(遺産)になるはずだ。

▼山形新聞「東京五輪が残したもの 未来へ教訓生かしたい」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/index.php?par1=20210809.inc

 57年前の東京五輪は10月中旬~下旬に開かれた。夏季五輪が近年7~8月なのは、国際オリンピック委員会(IOC)が高額な放送権料を払う北米のテレビ局に配慮しているためだ。6日に開かれた総括会見でIOCのバッハ会長には、開催時期を見直すべきではとの指摘や「開催都市の負担が大きすぎる。もっと大きな変革が必要ではないか」といった厳しい質問が飛んだ。しかし、大会は「成功」と強調するバッハ氏はこれらの質問には明確に答えていない。世界のさまざまな地域が開催地になり得るのが五輪である。ならば、選手がより安全に競技に集中できる環境についても、IOCはよりはっきりした展望を示すべきだろう。

▼福島民報「【東京五輪 コロナ禍で閉幕】本県に残したもの」
 https://www.minpo.jp/news/moredetail/2021080989179

 競技面では双葉地区教育構想が花開いた。バドミントン男子シングルスで富岡高出身の桃田賢斗選手が一次リーグで敗退する番狂わせがあったが、混合ダブルスで同高出身の渡辺勇大・東野有紗組が銅メダルを獲得した。サッカー女子の日本代表にはJFAアカデミー福島出身の菅沢優衣香、平尾知佳、三宅史織、遠藤純(白河市出身)の四選手が選ばれた。
 構想は世界に通用する人材育成を掲げ、富岡高と地元の四中学校の連携型中高一貫教育として二〇〇六(平成十八)年春に始まった。東京電力福島第一原発事故に伴う富岡高の休校と広野町のふたば未来学園高の開校を踏まえ、県教委は二〇一七年に改定し、バドミントンはふたば未来学園中・高に受け継がれている。
 原発事故で静岡県に移転したJFAアカデミー福島の女子は二〇二四年四月から本県で活動を再開し、入校生は楢葉中とふたば未来学園に通学する。今年四月には男子が本県に活動の場を戻し、入校した中学一年生が広野中に通っている。若者の活躍は地域に活力を与える。構想をさらに推進し、福島から世界で戦える人材を送り出してほしい。

▼信濃毎日新聞「東京五輪閉幕 もう腐食はごまかせない」/約束は果たされず/招致反対のうねり/続けるつもりなら
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021080900125

 国内の感染状況は深刻で、病院や療養施設に入れず自宅待機を強いられる感染者が増えた。飲食店は限界まで追い詰められ、収入が激減して不安を募らせる女性や若者、ひとり親家庭も多い。
 菅首相は「選手の活躍が夢と感動、勇気を与える」と述べる。十分な支援を受けられないまま、文字通り生存を懸けて闘う人々の悲鳴より、この国の政治は情緒的な「意義」を優先した。
 コロナ禍と1年延期で、選手たちは満足に調整できずにきた。特に海外の選手は、日本の酷暑や時差に慣れる時間が限られ、練習相手も伴えない不利な条件に置かれた。それでも力を振り絞る姿は見る者を魅了し、日本人選手も努力の成果を見せた。「選手に罪はない」との声も聞かれる。
 ただ、それだけでいいか。「選手第一」の本義は、競技者自身が五輪を考え、発言し、IOCや組織委を突き動かす主体性の発揮にあると信じたい。
 感染が収まってからでいい。選手有志が集まって東京大会を振り返り、世界に意見を発信できないか。五輪開催が困難な場合や選手間の公平性が損なわれる時、どんな代替手段が望ましいのか。政治や利権と切り離した、スポーツ本来の魅力を捉え直すきっかけにもなるに違いない。
 放送権料に固執し、負担を開催都市と国に押し付け、特権だけは享受するIOCの面々に、自浄能力は期待できない。最低限、第三者機関を設けるべきだ。
 招致都市の大会計画に盛られた約束は実現可能か。大会後の履行状況も検証し、経費超過を厳しく監視、指導する仕組みが要る。度重なる招致不正疑惑を防ぐ上でも意思決定の中立性、透明性を高めなくてはならない。

▼新潟日報「東京五輪閉幕 祭典の光と影を胸に刻む」/新風吹き込んだ選手/県勢健闘たたえたい/募るIOCへの疑問
 https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20210809634361.html

 東京五輪を巡り、際立ったのは、国際オリンピック委員会(IOC)幹部の独善的言動だった。
 バッハ会長は6日の会見で「日本人が五輪を支持し、受け入れていると結論付けられる」と強調した。8日のIOC総会では「われわれは成功裏な大会を経験した。正しいタイミングに開催されたと自信を持って言える」と述べた。
 真夏の五輪開催時期を見直すべきではないかとの指摘や開催都市の費用負担が大きすぎるとの記者の質問に対しては、明確な回答を控えたり、IOCの正当性を主張したりするだけだった。
 感染禍の中での開催への批判もなかったことにするかのような姿勢には疑問が募る。それが新たな問題を生むことはないか。
 今後大きな課題となるのは、費用負担をどうするかだ。
 (中略)
 心配されていた五輪による感染拡大について、菅義偉首相は6日、「国民の人流は五輪前から増えておらず、五輪が感染拡大につながっているという考え方はしていない」と否定した。
 だが、感染力の強いデルタ株やワクチン接種の遅れに加えて、五輪による自粛ムードの緩みも感染拡大の要因とする見方は根強い。
 東京五輪は誰のため、何のための大会だったのか。感染禍の下での開催は本当に正しかったのか。私たち国民一人一人が考え続ける必要がある。

▼福井新聞「東京五輪閉幕 あるべき姿が垣間見えた」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1374883

 選手は五輪と人々とを橋渡しする役目も担う。無観客開催だっただけにその役割の大きさは過去の比ではない。24日にはパラリンピックが開幕する。選手の精神面のケアも含めた早急な方策が必要だ。
 観客がスポーツを構成する大切な要素であることは過去にも「論説」で指摘してきた。しかし、今回は無観客もやむを得なかった。選手団やボランティアだけの会場に寂しさを感じる一方、素朴な応援は、「楽しむ」というスポーツの原点を思い出させてくれた。巨額の放映権料を頼りに華美にするばかりが五輪ではないことを再認識した。
 開催の可否をめぐっては世論を大きく分けた。新型コロナをめぐる危機管理は十分だったか。徹底した検証が求められる。

▼京都新聞「東京五輪閉幕 『強行』した意味問い直しを」/バブルにほころびも/理念と意義を示せず/多様性には広がりも
 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/614767

 招致時に掲げた「復興五輪」はかすみ、「コロナとの闘い」「世界の団結」と変遷した。理念に一貫性を欠き、「多様性と調和」を掲げながら組織委幹部らの人権意識の低さをさらけ出した。
 開催費は招致計画時の2倍強の1兆6千億円超に膨張。無観客でチケット収入の大半が消え、大幅赤字の穴埋めが避けられない。大会後の利用計画が決まっていない国立競技場などの施設も「負の遺産」となりかねない。巨額の血税を注いだ大会開催を誰がどのように判断したのか、経緯と責任を明確にする必要がある。
 五輪そのものの精神も揺らいだ。IOCはコロナ流行下でも開催を譲らない強硬な姿勢を続け、国民感情を軽視した幹部の言動で反感を招いた。広島、福島を訪れたバッハ氏の平和や復興のポーズも浅薄さが透けた。
 (中略)
 一方、厳しい状況の中でも、女性参加者が増え、初のトランスジェンダー競技者や、複数のルーツを持つ選手らの活躍で、多様性の広がりを印象づけた。
 人種差別への抗議のため片膝をつくポーズをはじめ、さまざまな差別や抑圧に対する抗議を示す動きが目立った。「あらゆる差別反対」を掲げるIOCが政治的、人種的な宣伝活動を禁じる規制を一部緩和した面もあるが、選手個人による自発的な発信として注目されよう。

▼神戸新聞「東京五輪閉幕/『遺産』とするべきものは何か」/遠かった「安全安心」/理念や精神かけ離れ
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202108/0014576636.shtml

 大会は準備段階から問題が噴出した。女性蔑視発言による森喜朗組織委会長の辞任に始まり、開会式の制作・演出チーム内で不祥事による辞任や解任が相次いだ。いずれも五輪の精神に反し、日本の人権意識の低さを世界に印象付けてしまった。
 また、IOCの商業主義や運営を巡る傲慢(ごうまん)さも浮き彫りになった。
 スタッフ向け弁当が大量に廃棄された問題も発覚した。組織委は食品ロスへの自覚に欠け、大会テーマの「持続可能性」に疑問符が付いた。
 復興五輪も持続可能な五輪の在り方も十分に体現できず、国内外の共感を得ることができなかったのは残念でならない。
 一方で、ベラルーシ代表選手の亡命問題などで、世界の紛争や格差、圧政の問題に人々の関心が向くきっかけになった。
 東京大会で見えてきたこうした課題を真摯(しんし)に受け止め、五輪とは何かを考え直すきっかけとしたい。新たな五輪の姿を導き出す起点になるなら、そこから真のレガシーが生まれてくるのではないか。

▼山陽新聞「東京五輪閉幕 スポーツの持つ力届いた」
 https://www.sanyonews.jp/article/1162008?rct=shasetsu

 57年ぶりとなった東京五輪が、きのう閉幕した。新型コロナウイルスの感染急拡大で綱渡りの運営となった大会は「中止」という最悪の事態を回避できた。全ての関係者の労苦をねぎらいたい。
 史上初めて1年延期され、開催の賛否も分かれる中で17日間の日程が始まった。205カ国・地域と難民選手団を合わせ、コロナ禍にありながら日本に集った約1万1千人の選手たちは、スポーツの持つ力を証明してくれた。
 大半が無観客となり、会場で感動を分かち合えなかったのは残念でならない。しかし選手たちのひたむきに力をぶつけ合う姿は、コロナ禍で苦しむ世界の人々に勇気を与えたことは間違いなかろう。

▼中国新聞「東京五輪閉幕 選手たちは頑張ったが」
 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=781932&comment_sub_id=0&category_id=142

 大会ビジョンの一つの「多様性と調和」も薄っぺらかった。ここ半年、式典の担当者が相次いで辞任した。統括役による容姿侮辱演出の提案や、楽曲担当者による過去の障害者への虐待行為、演出統括者による過去のユダヤ人大虐殺をやゆするコントなど問題が噴出した。共通するのは人権感覚の乏しさだ。組織委の前会長、森喜朗元首相自身が女性蔑視発言で真っ先に辞任に追い込まれたのだから恥の上塗りと言えようか。
 乏しい人権意識は日本政府も同じかもしれない。性的少数者であるLGBTの差別を禁じる法律の制定もままならない。そんな国が多様性を掲げるのだから薄っぺらいはずである。
 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長も薄っぺらさでは似たようなものだろう。先月、コーツ副会長と手分けして広島、長崎を訪れた。被爆地で得た教訓を「平和の祭典」に生かせただろうに広島原爆の日の黙とうも実現できなかった。

▼山陰中央新報「東京五輪閉幕 歯車を再び動かした」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/76168

 政権が国家プロジェクトとして掲げた「復興五輪」も「ウイルスに打ち勝った証し」も達成できなかったのは明らかだ。それでも、多くの関係者の努力と協力によって、全世界の代表選手が最高の技術を競い合う舞台が整えられ、さまざまなドラマが生まれた。
 喜びにあふれた笑顔があり、さまざまな思いの混じる涙があった。過去の大会のような、祝祭の雰囲気にあふれた大会とはならなかったが、いったんは止まってしまった五輪スポーツの大きな歯車を力強く動かしたのは間違いない。
 大会の総括記者会見で、その点を強調したバッハIOC会長だけでなく、世界はこの事実を評価するだろう。

▼徳島新聞「東京五輪閉幕 厳しく検証し改革進めよ」
 https://www.topics.or.jp/articles/-/572110

 五輪憲章では政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁じており、過去には黒人差別に抗議した選手が追放されている。国際オリンピック委員会(IOC)がその規制を今大会から緩めたのは、世界の人権意識の高まりからにほかならない。
 それに比べ、いかに人権問題への理解を欠いていたか。政府や組織委は猛省すべきだ。
 商業主義のひずみもあらわになった。
 IOCに巨額の放送権料を支払う米テレビ局の意向で真夏の開催となり、競技時間にも配慮した。懸念通り、酷暑のため選手が倒れたり、苦情が出たりした。時間変更を余儀なくされた競技もあり、女子マラソンのスタート前倒しは、本来の開始時刻の11時間前という異例の発表となった。
 大会開催が強行された背景には、中止によって放送権料を失いたくないIOCの意思が働いたとされる。
 経済的、政治的思惑にほんろうされる五輪でいいのか。大会を厳格に検証し、改革の糧とすべきである。

▼高知新聞「【東京五輪閉幕】大会のあり方を問い直せ」
 https://www.kochinews.co.jp/article/478258/

 一方で、この大会は近年の五輪が直面する課題も露呈したと言える。
 酷暑の中での競技開催は「アスリートファースト(選手第一)」から逸脱していたのではないか。選手の熱中症や棄権も相次いだ。
 そもそも7~8月の開催時期は、巨額の放送権料を払う米国テレビ局の意向があるとされる。
 以前から五輪の行きすぎた商業主義は強く批判されてきた。
 その問題は今大会を通じて、国際オリンピック委員会(IOC)の人々の安全よりも開催を優先するかのような強硬姿勢や、バッハ会長の国民感情を軽視した言動から、国内でもよく知られるようになった。
 開催都市の過度な財政負担に各国の五輪の招致熱は冷え込んでいる。次回2024年大会の招致争いでは当初5都市が立候補したが、巨額の開催費用に住民の反発が強まった結果、3都市が撤退している。
 「コンパクト五輪」をうたった東京五輪は、1年延期や新型コロナ対策の追加費用もあって、国や都などが要した関連経費は3兆円を超えるともされる。無観客開催となり、大会組織委員会が得たはずの約900億円のチケット収入も消えた。
 肥大化した五輪のあり方を見直す時が来ていることは間違いない。

▼佐賀新聞「東京五輪閉幕 感動を力に再び結束を」
 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/720802

 新型コロナウイルスの感染が収まらず、大会期間中、緊急事態宣言が東京から隣県にも拡大される中で開かれた異例のオリンピック。リスクを冒してまで開いた意義はあったのだろうか。意見は分かれると思うが、自国開催という地の利を生かし、日本は過去最多の金メダルを獲得した。「コロナに打ち勝った証し」とまではいかなくても、見る人を元気づけてくれた。開催の意義はあったと考えたいし、とにかく今は無事に五輪を終えられたことを喜びたい。そして、五輪開催の収益が少しでも出るのならば、コロナワクチンの取り組みが進んでいない発展途上国に役立ててもらおう。
 (中略)
 五輪にはさまざまな差異を超え、互いを結びつける力がある。東京五輪の参加国数は200を超えた。世界の広さを実感し、平和を保つには「相互理解による協調」が必要だと、改めて考えさせられた。また、コロナで予定通りにはいかなかったにせよ、3人制バスケットボールのセルビア選手団が唐津市で事前キャンプをしたように、各地で何らかの縁ができた。この縁を大切にしたい。

▼沖縄タイムス「[東京五輪閉幕]負の遺産 検証が必要だ」
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/801212

 結局のところ東京五輪はどう評価されるべきなのか。
 政府は選手の活躍やメダル数をもって「成功」と評価するかもしれないが、それと大会そのものの評価は、厳密に分けて考えるべきだ。
 東京五輪は全体としてみれば、あまりにも「いびつな五輪」だった。
 新型コロナウイルスの感染拡大で、本来の2020年開催は1年延期された。
 「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京大会を開催したい」
 政府はそう強調していた。だが、コロナ対策の失敗で緊急事態宣言下の無観客開催を余儀なくされ、当初のもくろみは実現できなかった。
 「復興五輪」のスローガンも掛け声倒れに終わった。
 コロナ禍の五輪開催が国民の分断を生み、「感動で、私たちは一つになる」という大会モットーもむなしく響いた。

【8月10日付】
▼東奥日報「スポーツの歯車動かした/東京五輪閉幕」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/623355

▼山陽新聞「SNSの中傷投稿 言葉の暴力から選手守れ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1162249?rct=shasetsu

 閉幕した今回の東京五輪では、日本人選手が活躍する一方で、会員制交流サイト(SNS)を通じた選手に対する誹謗(ひぼう)中傷が問題になった。言葉の暴力を許すことはできない。選手を守る対策を講じなければならない。

▼西日本新聞「東京五輪閉幕 『原点回帰』へ課題検証を」/感染拡大と無関係か/半世紀前と同じ構図/
 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/782867/

 閉会式があった国立競技場から視線を少しずらすと、五輪の熱も冷めるような現実がある。新型コロナウイルス感染は爆発的な勢いで広がり、開会時に比べて医療現場は明らかに逼迫(ひっぱく)している。五輪を楽しむ余裕のない人たちもいた。
 今大会を、異なる世界が並行して存在する「パラレルワールド」に例えたのは国際オリンピック委員会(IOC)の広報部長だった。五輪から感染は広がっていないと強調する意味の発言だが、言い得て妙である。
 IOCや大会組織委員会は、東京五輪は成功したと総括したが、その判断はまだ早い。感染が拡大し、多くの国民が理解したとは言い難い状況で開催を強行した大会だ。時間をかけて浮き彫りになった問題点を検証する必要がある。
 五輪の開催意義や運営方法を見直す契機としたい。
 (中略)
 地方から見れば、今回の東京五輪も首都再開発を促進するための一大イベントだった。五輪に経済効果を期待する意図は57年前の大会と同じだ。もう東京中心の高度成長の再現を夢想する時代ではない。発想の転換は不可避であると強調したい。

▼宮崎日日新聞「選手と心の健康 SNS含め重圧対策整備を」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_55552.html

 スポーツは産業として発展した。五輪の実施競技もプロスポーツも、多額の放送権料とスポンサー料を吸収するようになった。選手間、チーム間の競争は激化。選手の報酬も上昇し、優秀な選手は有力なスポンサー企業が支える。選手が感じる重圧の一つの要因はここにある。
 (中略)
 さらに見逃せないのが、会員制交流サイト(SNS)で選手が思わぬ非難にさらされるケースが増えたことだ。競泳の池江璃花子選手は五輪の開催反対に同調するよう、また出場を辞退するよう求められ「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません」と訴えた。
 スマートフォンを肌身離さず持ち歩く時代だ。だからこそ、選手がどのようにSNSと付き合うかを含め、選手の安心を守る方法を検討したい。好きだから続けていた競技がいつの間にか、気が重いものに変わってしまわないよう、心の健康を保てる環境づくりが大切だ。

▼琉球新報「東京五輪閉幕 多様性『遺産』に再生を」
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1372069.html

 国際オリンピック委員会(IOC)は大会を成功と総括したが、額面通りに受け取れない。緊急事態宣言下での開催を強いられ、感染は収束せず全国に拡大した。理念なき開催が分断を生み国民不在の様相を呈した。
 では、東京五輪は何を残したのか。アスリートたちの健闘は感動をもたらした。とりわけ県勢の活躍は目覚ましく、男子空手形で喜友名諒選手が県出身初の金メダルを獲得するなど次世代に夢と希望を与えてくれた。
 同時に、アスリートたちは人種差別や性差別を許さない意思表示、独裁に抗議して亡命するなど「多様性」「人権」という五輪精神を体現した。それが今回の「遺産」なのかもしれない。
 何のために、誰のための五輪なのか。なぜ、コロナ禍の中で開催するのか。「コンパクト」「復興」「コロナに打ち勝った証し」「安心安全」。くるくる変わる五輪の理念に国民は振り回され最後まで大会の意義を見いだせなかった。

【8月11日付】
▼毎日新聞「東京五輪のSDGs 徹底検証し教訓を今後に」
 https://mainichi.jp/articles/20210811/ddm/012/070/090000c

 資源を一切無駄にしないとうたいながら、ゴミの減量よりも、使い捨てにつながるリサイクルに対策が偏っていると批判された。
 国立競技場は、まだ使えたものを建て替えた。しかも、NGOの調査で、建設資材に貴重な熱帯林の木材が使われたことも明らかになった。
 選手村で提供された卵などの食材が、動物愛護の観点から問題視された。日本の鶏の大半は狭いケージで飼われているが、欧州では禁じられている。
 スタッフ向けの弁当が大量に廃棄され、大会関係者のジェンダーや人権に配慮しない発言が相次いだ。いずれも「SDGs五輪」のイメージに逆行するものだった。
 日本では、モノやサービスを購入する際、持続可能性や人権に配慮する「エシカル(倫理的な)消費」が浸透していない。
 本来であれば、五輪で国際水準を上回る野心的な目標を掲げ、実践すべきだった。そうすれば先進的な取り組みが手本となって、大会後に普及する効果が期待できたはずだ。

▼河北新報「SNSでの選手中傷/根絶の機運 社会で醸成を」
 https://kahoku.news/articles/20210811khn000006.html

 インターネット上での匿名による誹謗中傷対策として、改正プロバイダー責任制限法が4月に成立。匿名の投稿者特定の迅速化が図られるようになった。誹謗中傷投稿に対する抑止効果が期待され、損害賠償を請求する被害者の救済につなげる狙いもある。
 中傷を受けた被害者を救う動きは進みつつあるものの、「特効薬」となる手段は現段階では見当たらない。SNSの影響力が大きい時代に即したアスリートの支援態勢をどう構築していくのか。競技団体や選手、良心的なファンが一体となり、度が過ぎた誹謗中傷をやめるよう、広く地道に訴えていくことも一つの策だろう。

▼宮崎日日新聞「五輪が残したもの 祭典の代償に向き合わねば」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_55580.html

アスリートはスポーツの力を存分に伝えてくれた。ただ、収束が見えないコロナ禍の下で、強引に突き進んだ「代償」は大きい。うたげのあと、私たちは祭典がもたらした影や負の遺産に向き合わなければならない。新たな負担の問題も出てくるだろう。不可欠なのは、政府や組織委員会の徹底した情報開示による、透明性の高い、丁寧な総括と説明だ。