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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

この上、北海道警が争う余地がどこにあるのか~「表現の自由侵害」判決、続く地方紙の社説掲載

 2019年の参院選で、街頭演説中の安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした市民を排除した北海道警の警察官の行為を、表現の自由の侵害と認めて道に損害賠償を命じた札幌地裁の判決に対して、被告の北海道は4月1日、控訴しました。北海道警が、判決のどこに不満を持ち、控訴審で何を主張するつもりなのか、現段階ではよく分かりません。札幌地裁判決は当時の状況を動画などを元に丁寧に検証し、憲法にかかわる問題として踏み込んだ判断を示していました。この上、北海道警が争う余地がどこにあるのか、少なからず疑問です。
 札幌地裁判決に対しては、新聞各紙が社説や論説でも取り上げています。全国紙では朝日、毎日の2紙だけですが、地方紙は4月に入っても掲載が続いています。目にした限りですが、すべて判決を高く評価しており、また警察の権限行使に自制を求める論調も少なくありません。目を引くのは、判決理由の「警察官の行為は、原告らの表現行為が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限、または制限しようとしたと推認せざる得ない」との指摘についてです。
 このブログの前回、前々回の記事で、17年の東京都議選で安倍首相(当時)が「安倍辞めろ」などとやじを飛ばした人に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い返す出来事があったことに触れました。多くの社説、論説がやはりこの出来事を取り上げて、このことも念頭にあって北海道警が安倍元首相に忖度していたのではないか、との趣旨のことを指摘しています。そうした忖度が実際にあったのか、なかったのかは別にしても、時の権力者におもねっていたと言われてしまうこと自体が、警察組織としてはあってはならないことです。仮に、表現の自由の侵害だったことは争う余地がないとしても、首相としては極めて狭量で、社会に分断をもたらした安倍晋三という政治家を忖度してのことだったと指摘されてしまったのは、警察組織としては忸怩たる思いのはずです。この判決がこのまま確定してしまうのは、何としても避けたいのかもしれません。
 控訴審で北海道警側が何を主張するのか、2度目の判決に進むのか、和解協議に入るのかなどを注視したいと思います。

※参考過去記事(1) 3月29日付までの各紙の社説、論説はこの記事で紹介しています。

news-worker.hatenablog.com

※参考過去記事(2)

news-worker.hatenablog.com


 以下に、3月30日付~4月2日付で目にした各紙の社説、論説の見出しと本文の一部を書きとめておきます。

【4月2日付】
▼山陽新聞「やじ排除は違法 表現の自由侵害は許せぬ」
 https://www.sanyonews.jp/article/1246882

 警察権力の不当な行使によって、市民の言論を封じ込めるのは到底許されない。
(中略)
 気になるのは、道警の反応だ。首相ら要人の警護に警察の力は不可欠としても、演説の運営は政党や立候補者陣営といった主催者に責任があるはずだ。やじをやめてほしければ本来ならスタッフが呼び掛けるべきだろう。警察が介入し過ぎた感は否めない。
 判決は、男女の排除を「警察官が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断し、表現行為を制限しようとしたと推認せざるを得ない」と指摘している。安倍氏に対する配慮があったとも受け取れる。そうならば警察の政治的中立性を損なうことになる。

【4月1日付】
▼神戸新聞「やじ排除『違法』/表現の自由後退に歯止め」
 https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202204/0015182342.shtml

 「表現の自由」の後退に歯止めをかける明快な判決だ。
 (中略)
 思い起こされるのは、17年の東京都議選で、安倍氏が自身に批判的なやじを飛ばした聴衆を指さし「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ光景だ。批判を徹底的に排除する政権の姿勢が、道警の強引な行為を誘発したのではないか。
 判決は「やじが安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断して制限しようとした」と推認した。市民の権利の擁護より、政権への忖度(そんたく)が働いたとすれば見過ごせない。

【3月31日付】
▼河北新報「やじ排除『違法』判決/『表現の自由』 軽視許されぬ」
 https://kahoku.news/articles/20220331khn000006.html

 政治的な発言や意見の表明を忌避する雰囲気がこのまま強まっていけば、民主主義はいよいよ危機にひんする。
 「表現の自由」の価値を高く評価した司法判断は、政治にもの申す市民の行動を萎縮させないためにも極めて重い意味を持っている。
 (中略)
 街頭演説を巡っては、17年の東京都議選で安倍氏が「安倍辞めろ」などとやじを飛ばした人に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い返し、自民惨敗の一因になったと指摘された。
 3カ月後の衆院選では、自民党が演説場所の事前告知を控えるなど、政権に批判的な聴衆の行動を強く警戒していた経緯がある。道警の排除行為の背景に、政権への忖度(そんたく)があった疑いも生じる。

【3月30日付】
▼新潟日報「やじ排除違法 民主主義の基盤守る判決」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/43702

 政治権力のありようや公共の問題などについて批判を含めて自由に論じることは、民主主義社会の基盤だと結論付けた。当然の判決といえる。
 専制国家による言論の圧殺がはびこる中で、表現の自由の大切さを指摘した重みを深くかみしめたい。
 (中略)
 物言えぬ空気が広がれば、国民不在の政治の横暴につながりかねない。
 今、そうした状況を象徴的に表しているのがウクライナへの侵攻を続けるロシアだろう。国内の反戦世論の高まりを押さえつけるために、メディアや国民に圧力を加える情報統制が行われている。
 権力に対する正当な批判や疑問の提示は、政治や社会が一つの方向に流れることに歯止めをかけ、その健全性やバランスを担保する役割がある。
 異論の排除が生み出す危うさに鋭敏でいたい。

▼中日新聞・東京新聞「ヤジ排除は違法 警察は『言論』を奪うな」
 https://www.chunichi.co.jp/article/443632

 「安倍辞めろ」のヤジを飛ばした市民を警察が排除した是非を問うた訴訟で、札幌地裁が「警察官は表現の自由を制限した」とし、損害賠償を認めた。大いに評価する。警察が市民の「言論」を奪うことこそ、排除に値する。
 (中略)
 一七年の東京都議選では政権批判する人たちを指さして、安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言した。一九年の参院選では安倍首相の遊説日程を明かさない「ステルス遊説」が話題となった。
 批判の声を表に出さない戦略だったとされる。道警のヤジ排除は同じ思考回路でできていたのではないか。遊説でのヤジは政治批判の声を一般市民が直接、首相にぶつける希有(けう)な機会でもある。
 警察官の行動は、そんな政権批判の意見を事実上、封じ込めたに等しい。道警は首相に忖度(そんたく)したのか。市民排除に至った意図や経緯も明確に説明すべきである。

▼南日本新聞「[警官やじ排除] 表現の自由侵害を指弾」
https://373news.com/_column/syasetu.php?storyid=153848

「安倍辞めろ」「増税反対」といったやじの内容を「公共的、政治的事項に関する表現行為」と認め、「特に重要な権利で尊重されなければならない」と強調した。
 その上で、警察官の行為は「原告らの表現行為が安倍氏の街頭演説の場にそぐわないと判断し、制限しようとしたと推認せざるを得ない」と指摘した。道警が適切な警備より安倍氏への配慮を優先したことを暗示しているのではないか。
 道警の排除行為の背景には、当時の安倍政権がやじに警戒感を強めていたとの見方がある。17年の都議選では応援演説に立った安倍氏が「辞めろ」コールに反応して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言し、批判されたこともある。