このブログの以前の記事でも触れた放送法の「政治的公平」の解釈を巡る総務省の行政文書について、3月13日の参院予算委員会で、興味深いやり取りがありました。この文書が明らかになって以来、文書作成当時に総務相だった高市早苗氏は文書に記録された解釈変更の経緯への関与を否定し、「文書は捏造されたもの」と主張、最近では「内容が不正確」と強調しています。その一つ、2015年2月に担当局長が高市総務相にレクを行ったとの記載について、参院予算委で総務省の局長が「レクがあった可能性が高い」と述べ、高市氏の主張を真っ向から否定しました。
総務省の小笠原陽一情報流通行政局長は13日の参院予算委員会で、放送法の解釈に関する総務省の行政文書を巡り、当時総務相だった高市早苗経済安全保障担当相が実施の事実を認めていない2015年2月の担当局長による説明について「レクがあった可能性が高いと考えられる」と述べた。これに対し、高市氏は内容を重ねて否定。見解の対立が鮮明になった。立憲民主党の福山哲郎氏への答弁。
(中略)
小笠原氏は予算委で、局長による高市氏への説明を記した行政文書に関し「作成者は、記憶は定かではないが確実な仕事を心がけている。文書が残っているのであればレクが行われたのではないかと認識している」と説明した。
※共同通信「高市氏に説明した『可能性高い』 総務省、放送法文書巡り」
https://www.47news.jp/9052658.html
これに対する高市氏の主張は、日経新聞の記事から引用します。
高市氏は行政文書に記載があった担当局長による説明について8日の同委などで存在を否定していた。13日の答弁で内容に関して「この時期に放送法の解釈や政治的公平について私が話をしたという事実は一切ない」と重ねて主張した。
(中略)
高市氏は「少しの隙間を縫ってたくさんのレクがあった。何月何日の何時にどのレクがあったかは確認の取りようがない」と反論した。
末松信介参院予算委員長が「できるだけ簡潔に」と呼びかけても高市氏が答弁を続ける場面もあった。「今まで委員会が長くならないように私は言いたいことがあっても答弁を我慢してきた。ここは言わせてほしい」と訴えた。
※日経新聞「高市氏へ説明「『あった可能性高い』 行政文書巡り見解差」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA131L80T10C23A3000000/
委員長の注意にも従わなかったという高市氏の答弁は、やり取りを取材していた記者たちの目にも異様と映ったようです。
高市氏は質問する福山哲郎氏を見つめ、肩で息をして興奮を隠せない様子で、答弁を求めて挙手し隣の松本総務相が制止しました。答弁が長すぎると委員長から注意を受けてもなお答弁を続けました
参院予算委は #放送法 の政治的公平性をめぐる総務省の行政文書問題で #高市早苗 経済安保相に質問が集中。高市氏は質問する福山哲郎氏を見つめ、肩で息をして興奮を隠せない様子で、答弁を求めて挙手し隣の松本総務相が制止しました。答弁が長すぎると委員長から注意を受けてもなお答弁を続けました pic.twitter.com/iY9bgybuD5
— 朝日新聞官邸クラブ (@asahi_kantei) 2023年3月13日
高市氏は文書の記載内容を否定するのに、「事実はない」と言うばかりです。総務省の事務方が、何があったかを記録に残す行政文書の性格を踏まえて、いわば「記録」を元に「レクがあった可能性が高い」と述べたのに対して、高市氏は「記憶」で対抗しています。その記憶にしても、総務省に記録が残っていることを知らされれば、真摯に記憶の喚起に努めてみる、という態度もあり得るのではないかと思います。しかし高市氏は、当初からけんか腰の姿勢です。自分が最高責任者を務めた役所のことなのに、異様な反応ではないかと感じます。
いずれにしても、総務省に残されていた行政文書を高市氏が「捏造」と主張した問題は、「記録」と「記憶」がぶつかり合ったときに、どちらの信ぴょう性が高いか、という問題に収れんされてきているように感じます。そんなことは、ごく一般的な社会経験を持った人なら分かるだろうと考えていたら、以下のような共同通信の世論調査の結果を目にしました。高市氏の説明に「納得できない」との回答が73%に上ったとのことです。