ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「反対」が「賛成」上回る(JNN調査)、「評価」逆転(NHK調査)~ 国葬に民意の多数の支持はない ※追記:読売調査も「世論が二分」

 先週末に実施された2件の世論調査の結果が報じられています。NHKが8月5~7日に実施した調査と、JNN(TBS系列)が8月6、7日に実施した調査です。2件の調査とも、安倍晋三元首相の国葬に対しては、否定的な回答が肯定的な回答を上回りました。うちNHKの調査では、肯定的な回答の方が多かった前回調査と逆転しています。旧統一教会と政治の関係についても、非常に厳しい結果が出ています。
 NHKの調査では、岸田文雄内閣の支持率は3週間前の前回調査から13ポイントも急落しました。岸田首相は、安倍元首相の国葬を押し通そうとする一方で、旧統一教会と自民党の関わりについては、きちんとした調査を行うこともないままです。そうした点が支持率の急落に結び付いているように感じます。岸田首相は8月10日に内閣改造を行いますが、国葬や旧統一教会の問題をそのままにしておいて、支持が回復するかは疑問です。特に国葬はこれだけ民意から支持されていないのが明らかなのに、なぜ強行するのか。これでは安倍政治の手法そのままです。
 以下に、二つの世論調査の結果のうち、国葬と旧統一教会に関するものを書きとめておきます。いずれも詳しい質問文は分かりません。

【安倍元首相の国葬】
▼NHK
 政府が来月27日に安倍元総理大臣の「国葬」を行うことへの評価
「評価する」 36%
「評価しない」50%
▼JNN
「賛成」42%
「反対」45%

【旧統一教会と政治との関係について】
▼NHK
政党や国会議員が十分説明しているかどうか
「十分説明している」 4%
「説明が足りない」 82%
▼JNN
・政治家が旧統一教会や関連団体との関係を断つ必要があるか
 「必要がある」77%
 「必要はない」15%
・旧統一教会との関係について、各政党が党や党所属の議員を調査する必要があるか
 「必要がある」76%
 「必要はない」17%
・旧統一教会と政治の繋がりについて、国会での審議を通じて実態解明をする必要があるか
 「必要がある」72%
 「必要はない」21%

 安倍元首相の国葬について、「賛成」か「反対」かを尋ねた世論調査は、7月末の共同通信、日経新聞・テレビ東京に続いてJNNが3件目です。いずれも「反対」が「賛成」を上回っており、共同通信調査では「反対」「どちらかといえば反対」の合計は53%と過半数でした。

news-worker.hatenablog.com

 NHKの前回調査(7月16~18日実施)では、安倍元首相の葬儀を「国葬」として今年秋に行う政府の方針に対して、「評価する」49%、「評価しない」38%でした。今回は質問が異なるようですので、単純な比較はできませんが、肯定的な見方と否定的な見方が逆転しています。
 なお、私見ですが、「評価するか、評価しないか」と「賛成か、反対か」とは似て異なる尋ね方です。国葬には法的な根拠がなく、また費用を全額国費で賄うことは、弔意の強制の意味合いを帯びています。憲法違反の疑いが濃厚です。そうした国葬を強行することは、それ自体が違法、違憲の疑いがあり、とても「評価」の対象にしていいものではありません。国葬に賛成か、反対かを尋ねるのが適切だと思います。

※追記 2022年8月9日8時45分
 読売新聞が8月5~7日に実施した世論調査の結果が報じられています。安倍元首相の国葬への「評価」について、読売の記事は「世論が二分」としています。岸田内閣の支持率は、参院選直後の前回調査(7月11、12日実施)から8ポイント急落の57%、不支持率は8ポイント増の32%でした。政党支持率でも自民党の38%は前回から6ポイント減です。

◆政府は、安倍晋三・元首相の国葬の実施を決めました。この決定を、評価しますか、評価しませんか。
・評価する  49%
・評価しない 46%
・答えない   5%

◆自民党などの複数の国会議員が、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)から、選挙での支援や寄付を受けていたことを明らかにしました。政党や国会議員は、旧統一教会とのつながりについて、説明責任を果たしていると思いますか、思いませんか。
・思う    8%
・思わない 87%
・答えない  5%

すれ違う「被爆地の思い」と「首相の言葉」~ロシアのウクライナ侵攻のさなかで迎えた広島原爆の日

 77年前の1945年8月6日、広島市に原爆が投下されました。今年はその日を、ロシアによるウクライナ侵攻が続く中で迎えました。ロシアのプーチン大統領は核兵器の保有を強調して国際社会を威圧しており、近年になく核兵器が実際に使われることが危惧されます。北東アジアでは、米国のペロシ下院議長が台湾を訪問したことに中国が反発し、台湾を取り囲むように大規模な軍事演習を強行しているさなかでした。中国もまた核保有国です。6日朝に広島市の平和記念公園で営まれた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」で、唯一の被爆国である日本の首相として、また広島選出の政治家として、岸田文雄首相が核兵器廃絶へ向けてどんなメッセージを発するか、注視したのですが、言葉は立派でも内容は乏しいと感じました。

 松井一実市長が読み上げた広島平和宣言は、ロシアのウクライナ侵攻によって世界中で、「核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増して」いると指摘し、「一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません」と訴えました。日本政府に対しては、NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めました。
 ※広島平和会宣言
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/179784.html

www.city.hiroshima.lg.jp

 これに対し岸田首相はあいさつの中で、核兵器禁止条約には触れませんでした。「被爆地の思い」と位置付けられる平和宣言と、日本政府の代表者の言葉は、もっとも重要な部分でかみ合いませんでした。かみ合うかどうか以前、「すれ違った」と言うべきかもしれません。
 ※岸田首相あいさつ
https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0806hiroshima.html

www.kantei.go.jp

 岸田首相は「核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、『核兵器のない世界』への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から、私は、『核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない』と、声を大にして、世界の人々に訴えます」と述べました。ロシアもウクライナも国名は挙げていません。外交的な配慮なのかもしれませんが、分かりにくく、違和感を覚えました。
 「現実」と「理想」の言葉も以下のように口にしていますが、これも分かりにくい言い回しだと感じました。

 非核三原則を堅持しつつ、「厳しい安全保障環境」という「現実」を「核兵器のない世界」という「理想」に結び付ける努力を行ってまいります。

 どうやら、「首相は『理想』と『現実』の双方を追う『新時代リアリズム外交』を掲げる」(毎日新聞)ということのようです。
 広島選出ということもあって、岸田首相は核兵器廃絶への思いは本当に強いのかもしれません。しかし、政治家として問われるのは行動と結果です。いかに言葉を並べても、本質的に安倍晋三元首相や菅義偉元首相らと変わらず、米国の核の傘にとどまり続けることを見直すつもりがないのであれば、何も変わらないだろうと感じます。
 岸田首相のあいさつの中で、多少なりとも良かった点があるとすれば、非核三原則の堅持を明言したことです。ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、米軍の核兵器を日本が共有する「核共有論」が自民党の一部から出ました。その中心にいたのは安倍晋三元首相です。核共有は非核三原則の放棄に等しく、核廃絶に逆行します。安倍元首相が残した負の業績の一つです。岸田首相は非核三原則を堅持と言いながら、それでも安倍元首相の国葬はやり抜く、その業績を国家として顕彰する、というのでしょうか。
 東京で目にする報道ではほとんど見かけませんが、湯崎英彦・広島県知事のあいさつに、印象深い一節がありました。

 しかしながら,力には力で対抗するしかない,という現実主義者は,なぜか核兵器について,肝心なところは,指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。本当は,核兵器が存在する限り,人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです。
 今後,再度,誰かがこの人間の逃れられない性(さが)に根差す行動を取ろうとするとき,人類全体,さらには地球全体を破滅へと追いやる手段を手放しておくことこそが,現実を直視した上で求められる知恵と行動ではないでしょうか。
 実際,ウクライナはいわばこの核抑止論の犠牲者です。今後繰り返されうる対立の中で,核抑止そのものが破られる前に手を打たなければなりません。

 ※広島県知事あいさつ

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/52/04heiwakinensikitentijiaisatu.html

www.pref.hiroshima.lg.jp

 プーチン大統領が核保有を強調していることの意味は、まさに核抑止論の破たんではないのか、と感じます。

 ことしは国連のグテーレス事務総長も式典に出席し、スピーチを行いました。6月に核兵器禁止条約の締約国が初めて集い、終末兵器のない世界に向けたロードマップを策定したこと、ニューヨークで核兵器不拡散条約の会合が開催されていることに「希望の光はある」と述べるとともに、核保有国に対し、核兵器の「先制不使用」を約束し、非保有国に対しては核兵器を使用しないこと、あるいは使用すると脅迫しないことを保証することを求めました。

※国連事務総長あいさつ

 https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/198342

www.chugoku-np.co.jp

 以下に、東京発行の新聞各紙がことしの「8月6日」をどのように報じたか、翌7日付の扱いと、主な記事の見出しを書きとめておきます。1面トップで扱ったのは東京新聞だけでした。この日、もっとも大きなニュースバリューは、岸田首相が核兵器禁止条約に言及しなかったことかもしれません。朝日新聞の見出しからは、そうしたことが全く分かりません。どうしたことでしょうか。

▼朝日新聞
・1面・本記「核廃絶 平和願う広島」
・社会面トップ「語る つなぐ 命の記憶/秘めた救護体験 93歳『残さないと』/被爆者に学ぶ 20歳の決意」/「両陛下が黙祷」
・第2社会面 広島市長・平和宣言(全文)/平和記念式典 首相あいさつ(全文)
※1面トップ「教団票『10万票は切らない』/旧統一教会が支えた安倍派候補」2面、第2社会面にも

▼毎日新聞
・2面・焦点「首相『核軍縮』道のり遠く/被爆地選出 理想阻む厳しい『現実』」「『核廃絶 具体策見えず』被爆者」
・4面・特集「平和へ 国超え結束」/「核のボタン 一刻も早く無用に」平和宣言(全文)/「私たちが未来創る番」こども代表 平和への誓い(全文)/「惨禍 繰り返してはならない」首相あいさつ(全文)/「脅威 世界で広がっている」グテレス国連事務総長あいさつ(全文)
・7面(国際)「二つの条約 溝埋まるか/核拡散防止 核兵器禁止/NPT会議 議論本格化」
・社会面トップ・本記「核なき世界まだか/首相 核禁条約に触れず」
・社会面「グテレス氏 被爆者と面会」/「『核戦争の瀬戸際 認識すべきだ』NPT会議 和田さん演説」
・第2社会面「平和伝え 命燃やす/語り部95歳 初参加」
※1面トップ「迫る」津嘉山さん 沖縄戦朗読劇

▼読売新聞
・1面・本記「広島 核廃絶の祈り 77回目原爆忌」
・2面「首相、核廃絶へ努力誓う/広島原爆忌 『現実と理想 溝埋める』」
・23面 広島平和宣言全文/岸田首相あいさつ(全文)
・第2社会面「惨禍 風化させない/原爆忌 国連総長に訴え/80歳過ぎ 証言者に」/「平和な未来へ 行動誓う/『こども代表』」/「天皇ご一家が御所で黙とう」/「原水禁・原水協閉幕」
※1面トップ「海外移植で臓器売買か」2面、社会面見開きでも

▼日経新聞
・1面・本記「首相『77年前の惨禍二度と』/広島原爆の日」
・社会面トップ「平和の祈り 一層切実/核の脅威 懸念高まる」/「『被爆者の声が必要』/国連事務総長 証言活動たたえる」/「外国人の被爆伝える/遺品や写真など展示/広島の原爆資料館」
※1面トップ「人への投資 企業価値左右」チャートは語る

▼産経新聞
・1面・本記「首相、核兵器廃絶へ誓い/広島原爆の日 77年」
・2面「『核兵器なき世界』険しき道/広島G7控え対中露に苦慮/首相、地元で就任後初『原爆の日』」/「『核削減NPTで合意したい』/寺田首相補佐官インタビュー」
・第2社会面「被爆2世へ 思いつなぐ/広島原爆の日 『核廃絶』先代の遺志継承/県被団協 箕牧智之理事長」
・第2社会面 広島平和宣言 要旨/首相あいさつ 要旨/国連事務総長あいさつ 要旨/平和への誓い 全文
※1面トップ「内閣改造 半数以上を交代」

▼東京新聞
・1面トップ・本記「核廃絶 広島から今こそ/ウクライナ侵攻の中『原爆の日』」/「首相、地元で『核禁』触れず」
・3面「『人類、戦争の瀬戸際』被団協・和田さんら訴え/NPT会議」/「核兵器なくせるのも人の英知」和田さん演説要旨/「『若者は指導者の姿勢変えられる』/国連総長、被爆3世らと対話」
・4面 広島平和宣言全文/岸田首相あいさつ要旨/国連総長あいさつ要旨
・社会面トップ「核なき世界 声鋭く/被爆者、首相の消極姿勢に失望」/「『戦争 二度とやっちゃいかん』広島で祈り」/「『未来は創ることができる』/子ども代表誓う 県外出身 広島で原爆学ぶ」 平和への誓い全文
・第2社会面「使命の『ノーモア被爆者』/NPT会議 和田さん演説/母の記憶 発信に葛藤」

東京弁護士会が安倍元首相の国葬に反対、撤回を求める会長声明公表~第一の理由は法的根拠がないこと

 安倍晋三元首相の国葬に対し、東京弁護士会が8月2日、反対を表明して撤回を求める会長声明を公表しました。弁護士会の反対声明は初めてのようです。
 声明は反対の理由を、順序立てて挙げています。わたしなりに要約すると、以下の通りです。
 ①国葬には法的根拠がなく認められない。
 ②国葬は弔意を事実上強制する契機となり、憲法19条の思想・良心の自由との関係で好ましくない状況が危惧される。
 ③安倍政権の集団的自衛権の容認と安全保障関連法などに対し、違憲として反対してきた。これらを国への功績と評価する国葬を行えば立憲主義及び憲法の基本理念を揺るがす。

 共同通信が7月末に実施した世論調査で、国葬への反対が53%に上ったように、民意は反対多数です。ただ、その理由については、ネット上などで目にする限りですが、安倍元首相が国論を二分するような政治課題で、ことごとく数をたのんで国会採決を強行し、社会に分断をもたらしたことなどを強調して、「国葬に値しない」とする言説をとても多く目にします。ひと言で言えば「安倍元首相だからダメ」とも受け取れる内容です。
 わたしも今回の国葬には反対です。ただ、理由の順位ははっきりしていて、安倍元首相の業績の評価以前に、国葬そのものが法的根拠を欠く、日本社会の法治の中では認められていない、との点が第一です。安倍元首相でなくても、ほかの、どんなにすばらしい業績を残したと評価できる政治家であっても、政治家の国葬はだめです。
 東京弁護士会の会長声明が上記のように、この点を第一にして順序立てて反対理由を整理しているのは、さすが法律家だと思います。
 国葬に法的な根拠がない、少なくとも明記がないことは争いがなく、国葬を強く支持する産経新聞も社説で「元首相の国葬後に、国葬に関する法令の整備を進めてもらいたい」(7月26日付「主張」)と書いているほどです。そうした国葬が、そもそも法治の観点から許されるのかどうか、社会全体で冷静に考えたい。安倍政治への「非」の意見をことさらに強調してしまうと、「是」とする意見との間で分断が深まり、非寛容の雰囲気が高まるばかりのように思います。

 東京弁護士会の声明は以下で読めます。
※「安倍晋三元内閣総理大臣の『国葬』に反対し、撤回を求める会長声明」=2022年8月2日
https://www.toben.or.jp/message/seimei/post-663.html

www.toben.or.jp

国葬「反対」が多数、国会審議「必要」6割超、共同通信調査~「歴史にも目を据え、服喪の強要になりかねない国葬を問い直す必要」(信濃毎日新聞社説) ※追記:日経調査では反対47% 賛成43%

 一つ前の記事で触れた共同通信の世論調査の続きです。
 7月30、31日に実施した調査のうち、安倍晋三元首相の国葬に関わる質問と回答状況は以下の通りです。

 ▼政府は、安倍晋三元首相の葬儀を国葬として実施すると決めました。全額を国費で負担します。あなたは安倍氏の国葬に賛成ですか、反対ですか。     
 賛成         17・9%
 どちらかといえば賛成 27・2%
 どちらかといえば反対 23・5%
 反対         29・8%
 分からない・無回答   1・6%

 ▼野党は、国葬にする理由の説明が不十分だとして、国会での審議を与党に求めています。あなたは国会の審議が必要だと思いますか、思いませんか。    
 審議が必要だ       61・9%
 審議が必要だとは思わない 36・0%
 分からない・無回答     2・1%

 国葬への賛否は「どちらかといえば」を含めた四つの選択肢の中で「反対」が最多で3割近くなのに対し、「賛成」は2割に達しません。「どちらかといえば反対」「どちらかといえば賛成」を含めると、賛成45.1%に対して反対53.3%です。
 先行する他社の世論調査では、NHKと産経新聞・FNNが国葬に触れていましたが、「国葬への賛否」を直接尋ねるのではなく、国葬を決めた政府の方針や政府の決定が対象でした。

■NHK調査 7月16~18日実施
 政府は、安倍元総理大臣の葬儀を、国の儀式の「国葬」として今年秋に行う方針です。
この方針への評価 ※質問の正確な文言は不明
「評価する」 49%
「評価しない」38%

■産経新聞・FNN 7月23、24日実施
 政府は安倍晋三元首相の葬儀を国葬として実施することを決め、費用は全額国費で負担する。この決定をよかったと思うか
 よかった           31.0%
 どちらかといえばよかった   19.1%
 どちらかといえばよくなかった 14.8%
 よくなかった         32.1%

 共同通信の調査は最新であることに加えて、国葬への賛否を直接尋ねており、国葬に対する民意の所在をより正確に示している、と言っていいと思います。
 共同通信の配信記事によると、国葬に反対する人の岸田文雄内閣不支持は59・8%と半数を超え、支持24・5%を大きく上回っています。「感染が急拡大している新型コロナへの対応、依然続く物価高への対策に加え、説明不足との批判がある政府の国葬実施決定が支持率急落につながった可能性がある」とのことです。
 国葬について国会での審議が必要と思うかどうかでは、必要との回答が6割を超えています。法的な根拠もなく、実施を閣議決定で決めた手続きも問題ないのかどうか。そうしたことを国会で審議することが必要ですし、その結果、手続きが適正ではないことがはっきりするならば、岸田首相は閣議決定で撤回を決めるべきだろうと思います。

 安倍元首相の国葬を取り上げた最近の社説、論説を書きとめておきます。

 信濃毎日新聞は8月1日付で、国葬について3回目の社説を掲載。吉田茂元首相の国葬や、最近では中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬で弔意の強制や圧力と言わざる得ない動きがあったことを挙げ、戦前にまでさかのぼる歴史的な視野で強く疑問を呈しています。
 産経新聞は国葬を支持していますが、その産経新聞でさえも「元首相の国葬後に、国葬に関する法令の整備を進めてもらいたい」と書いていることが目を引きました。

【8月1日付】
▼信濃毎日新聞「安倍氏の国葬 服喪の強要にならないか」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022080100020

 国民一人一人に喪に服すことを求めるものではない―。安倍晋三元首相の国葬について松野博一官房長官は繰り返し述べている。
 当日を休日にすることも検討していないと明言した。だとしても、国葬とすることそれ自体が弔意を強いる危うさをはらんでいることに変わりはない。あからさまな強制でない形で同調圧力が強まらないか心配だ。
 (中略)
 かつて国葬は、ナショナリズムを高揚させ、国民を動員して戦時体制を強化する装置となったことを中央大の宮間純一教授は指摘している。その歴史にも目を据え、服喪の強要になりかねない国葬を問い直す必要がある。

【7月29日付】
▼新潟日報「安倍氏国葬決定 国会で説明尽くすべきだ」
 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/92372

 岸田文雄首相は閣議決定した22日当日の講演で「さまざまな意見があることは承知している。丁寧に説明し、できるだけ多くの国民に納得してもらって行いたい」と話したが、説明しようという姿勢は今なお見えない。
 政府が来月3日に臨時国会を召集し、会期を3日間とする方針を示したのに対し、野党は国葬などについて質疑するため十分な会期確保を求めている。さまざまな疑問に答えてもらいたい。

▼西日本新聞「国葬の当否 臨時国会を議論の機会に」

【7月28日付】
▼朝日新聞「臨時国会 首相は『国葬』の説明を」
 https://digital.asahi.com/articles/DA3S15370474.html

 政府が閣議決定した安倍元首相の「国葬」について、世論の賛否は割れたままである。
 社説は、極めて異例の追悼の形式が、社会の溝を広げ、政治家の業績に対する自由な論評を妨げる恐れを指摘した。
 来週、召集される臨時国会では、国葬を決めた岸田首相自身が、数々の疑問や懸念に直接、答えねばならない。説明責任も果たさず、わずか3日の会期で閉じるなら、国葬に対する違和感を強めるだけだろう。

【7月26日付】
▼産経新聞「安倍元首相の国葬 野党の反対は理解できぬ」
 https://www.sankei.com/article/20220726-NG2IVQEVDVMP3L3EVBV7JGWM4M/

 白昼の銃撃で倒れた安倍氏の葬儀を国葬として執り行うことは、国民の支持を得て長く政権を預かった元首相を国として追悼するばかりでなく、日本が「暴力に屈せず、民主主義を守り抜く」(岸田文雄首相)姿勢を内外に示す意義がある。アベノミクスなど評価が分かれている元首相の業績を無条件で賛美するわけではない。
弔意の強制についても政府はすでに9月27日を休日とせず、黙禱(もくとう)なども強制しない方針を明確にしている。
 (中略)
 政府は、国葬の意義をさらに詳しく国民に説明するとともに、元首相の国葬後に、国葬に関する法令の整備を進めてもらいたい。国家に功績のあった人物を国葬で送るのは、諸外国では当たり前である。日本もそうあるべきだ。

▼宮崎日日新聞「安倍氏の国葬 対立避けるため説明尽くせ」
 https://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_64602.html

【追記】2022年8月3日21時10分
 日経新聞とテレビ東京が7月29~31日に実施した世論調査でも、安倍元首相の国葬を巡る質問があったようです。以下は日経新聞の記事の一部です。

 銃撃を受けて死去した安倍晋三元首相の国葬に関する賛否を日本経済新聞社の世論調査で聞いた。「反対」が47%、「賛成」が43%と評価が割れた。

 国葬に賛成か反対かを聞いたのかどうか、質問の文章が不明ですので、ほかの世論調査の結果との比較は難しく、また賛否の差「4ポイント」も有意の差か、誤差の範囲内か、評価が難しいです。少なくとも、多数の支持を得ている状況ではないことは確かです。

速報:共同通信「安倍元首相国葬に反対53% 内閣支持12ポイント急落51%」~民意は「国葬に反対」が多数

 

 共同通信が7月30、31日に実施した世論調査の結果が報じられています。

 安倍晋三元首相の国葬に「反対」「どちらかといえば反対」が計53.3%を占め、「賛成」「どちらかといえば賛成」の計45.1%を上回った。岸田内閣の支持率は51.0%で7月11、12両日の前回調査から12.2ポイント急落し、昨年10月の内閣発足以来最低となった。

※共同通信「安倍元首相国葬に反対53% 内閣支持12ポイント急落51%」
 https://nordot.app/926383600249176064

nordot.app

 「反対」が過半数で「賛成」との差は7ポイント余り。先行の世論調査ではNHKが国葬を決めた政府の判断に対して「評価する」「評価しない」を、産経新聞・FNNもやはり政府の判断に対して「よかった」「よくなかった」をそれぞれ尋ねていました。国葬への賛否の直接の質問ではなく、政府の方針をどう判断しているかを聞いていました。NHK調査では「評価する」49%、「評価しない」38%、産経新聞・FNN調査では「よかった」「どちらかといえばよかった」が計50.1%、「よくなかった」「どちらかといえばよくなかった」が計46.9%でした。

 共同通信調査はすっきりと、国葬に対して「賛成」「反対」を尋ねました。その結果として、これだけの有意の差が出たのですから、「民意は国葬に反対が多数」と言っていいように思います。国葬それ自体にも、また岸田文雄内閣が国葬を閣議決定で決めたことにも、法的根拠がないとの批判があります。手続きは岸田首相の主導で進んだことが繰り返し報道され、自民党内の基盤が弱い岸田首相が、安倍元首相の支持層をつなぎとめるために画策した、いわば政治利用との指摘もあります。岸田首相が国葬の方針を記者会見で表明したのは、共同通信の前回調査直後の7月14日でした。わずか3週間で内閣支持率が12ポイントも急落した要因には、やはり国葬をめぐる岸田首相の強引さへの批判が含まれているのだと思います。

「だれでも情報発信」の社会の「プロの責任」~秋葉原・無差別殺傷事件から14年

 一つ前の記事の続きです。
 2008年6月に東京・秋葉原の歩行者天国で起きた無差別殺傷事件は、インターネットの普及によって「だれでも情報発信」の時代が訪れていることを痛切に実感させられた出来事でもありました。現場に居合わせた人たちが、マスメディアよりも早く携帯電話のカメラで写真を撮り、見たままをブログなどで発信しました。仮に、報道を「何が起きたかを伝えること」と定義するなら、その担い手は「マスメディア=プロフェッショナル」だけではなく、現場に居合わせただれもがなり得ることが明白になりました。「だれでもジャーナリスト」とすら言われる中で、ではジャーナリズムの担い手として「プロのプロたるゆえん」「プロの責任」は何なのか。この事件をきっかけに、わたしはマスメディアのジャーナリズムを長く仕事にしてきた自分自身の考察テーマとして考えてきました。
 インターネットが普及する以前、社会の情報流通は新聞、テレビが主役でした。事件事故の取材・報道は、記者やカメラマン、テレビのクルーが一刻を争って現場に向かい、生々しさが残っているうちに写真や映像を撮り、目撃者を捜して話を聞くことが中心でした。わたしが記者の仕事に就いた1980年代前半は、まだ携帯電話はなくカメラもフイルムの時代。一般の人はいつもカメラを持ち歩いているわけではなく、発生時の様子を写真に撮っている人を探し当てれば、ほぼ特ダネ写真でした。
 それまでパソコンに詳しい一部の人たちのものだったインターネットが爆発的に普及するきっかけは、1995年のマイクロソフト「ウインドウズ95」の発売だったと思います。このころ、わたしの勤務先でもワープロに代わってパソコンが導入され、記者はパソコンで記事を作成してデスクに送るようになりました。わたしが電子メールを使い始めたのもこのころです。ほどなく、携帯電話も小型化、多機能化が進み、デジタルカメラが搭載されるようになりました。
 2000年代に入ると、ブログも広がります。日本では2002年ごろから急速に普及し、2004年9月からの1年間で利用者が急増したとされます。わたしも最初のブログ「ニュース・ワーカー」の運営を始めたのはこの時期、05年4月でした。
 08年6月の秋葉原の無差別殺傷事件当時は、ツイッターなどSNSの普及には至ってはいないものの、一般の人が携帯電話のカメラで写真を撮ってメールで誰かに送る、つまりは写真の複製と拡散が容易にできるようになっていました。また、写真や文章を携帯電話からでもブログにアップロードすることが可能になっていました。「だれでも情報発信」の社会です。
 事件は日曜日の歩行者天国で起きました。居合わせた大勢の人たちが携帯電話のカメラで写真を撮り、それらの写真は繰り返し拡散されました。メールを介したり、現場で携帯電話同士、赤外線通信で複製された例も少なくなかったようです。自分で見たままに、事件の様子を書き込んだブログもいくつもあり、映像と音声を送信するアプリで、現場から“中継”を試みる人もいました。
 わたしがもっとも衝撃を受けたのは、現場で警察官に取り押さえられた容疑者の男の写真です。現場に向かったマスメディアの取材陣は、「容疑者の身柄確保」の瞬間に間に合いませんでした。居合わせた「だれか」が決定的な写真を撮り、次々に拡散されました。マスメディアもそれぞれにその写真を入手しました。こうした場合、通常は撮影者に連絡を取って、報道に使用することへの承諾を求めます。このときは撮影者にたどりつけなかったマスメディアもありました。それでも報道に使えるのか―。写真自体は間違いなくその瞬間を押さえたものです。ねつ造や改変の可能性もないと断じていい状況でした。事件を伝える翌日の新聞各紙に、同じ写真が「提供写真」などのクレジットとともに載りました。

 事件当時のこのブログの記事を読み返すと、わたしは以下のようなことを書いていました。

 既存マスメディアの事件事故報道は、当事者や目撃者に一人でも多く取材し、その証言を組み合わせて「何が起きたのか」を再現してきました。今もその取材・報道スタイルは変わりません。しかし今回の事件では、ネットとデジタル技術の普及によって、現場の再現はもはやマスメディアの組織取材のものだけではないことが明白になりました。そういう状況の中で、マスメディアがマスメディアであることの意味、負うべき責任(それは「表現の自由」と「知る権利」にかかわるものですが)とは何なのかが、わたしも含めてマスメディアの内部で働く一人一人に問われていると思います。その答えはわたし自身、必ずしも明確ではないのですが、ただ、ひとりの「個人」として相当な覚悟が必要だろうということだけは、おぼろげながら感じています。

news-worker.hatenablog.com 事件から14年。わたしはマスメディアで働く現役の時間は既に終わり、後続世代に経験を伝える立場になっています。「ひとりの『個人』として相当な覚悟が必要だろうということだけは、おぼろげながら感じています」と書いた「プロの責任」について、やはり「表現の自由」と「知る権利」が社会で担保されることを守ること、時にそのことに生活が賭かるとしても、その志を曲げないことなのだろうと、考えるに至っています。
 今では事件や事故の取材では、マスメディアはその発生自体をSNSへの書き込みで知ることも珍しくありません。現場に居合わせた人たちが次々にアップしてくる画像や動画をチェックし、SNSを通じて連絡を取って使用の許諾を求めることは、事件事故取材の基本動作の一つになっています。それが当たり前という環境で記者が育つと、「プロのプロたるゆえん」は何なのか、と自ら問うてみる意識は持ちにくいかもしれません。「速さ」「うまさ」そして「正確さ」。研修で教え込むそうしたスキルも確かに「プロたるゆえん」です。特にフェイクニュースが横行する中で「正確さ」はよく強調されます。しかし、「プロのゆえん」はそれだけではないだろうと思います。社会の変化を経験してきた先行世代の一人として、後続世代に「プロの責任」の何をどう残すことができるか、考えています。

 秋葉原の無差別殺傷事件を伝える朝日新聞と毎日新聞の紙面を縮刷版で見てみました。警察官に取り押さえられた容疑者の同一とみられる写真がそれぞれ1面に掲載されています。クレジットは、朝日新聞は「現場にいた人が撮影」、毎日新聞は「通行人提供」です。同じと見られる写真は共同通信も配信しました。全国の地方紙に「提供写真」のクレジットで掲載されていると思います。

【写真】朝日新聞(左)と毎日新聞の紙面。ともに2008年6月9日夕刊の1面トップ。事件が起きた6月8日は新聞休刊日のため、9日付朝刊の発行はありませんでした。

秋葉原事件の死刑執行であらためて思う「働き方」と「孤独」

 2008年6月に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件で、7人を殺害し10人に重軽傷を負わせたなどとして死刑が確定していた男(加藤智大)の刑が7月26日、執行されました。事件当時を思い起こし、今日の社会状況に重ねて、あらためて様々なことを考えています。
 当時、わたしは勤務先の通信社で、1週間後に社会部への異動を控えていました。その2年前に、社会部デスクから、配信記事を最終的にチェックする整理部門に転出していました。これで社会部の現場は“卒業”だろうと考えていたのですが、思いがけず、管理職の一人として2年ぶりに戻ることになっていました。事件が起きた6月8日は日曜日。社会部は全員呼び出しでしたが、異動前のわたしは休日で自宅にいて、主にテレビで推移を見守っていたように記憶しています。まもなく社会部に移り、シニア格のデスクとして、この事件についてもほかのデスクたちと様々に議論しながら、同僚記者たちの取材を見守っていました。
 男は工場で働く派遣社員でした。2001年に発足した小泉純一郎政権下の「改革」で、派遣社員など非正規雇用は一気に広がりました。間もなく「ワーキングプア」という言葉が報道でも頻繁に登場するようになります。「働けば働くほど困窮する」というニュアンスが込められています。賃金水準が低いために、いくら働いても生活保護にも満たない収入しか得られない、加えて雇用契約に期間の定めがあり身分は不安定―。非正規雇用のそういう実態を突いた言葉でした。2004年夏から2年間、新聞労連の専従役員として過ごしていたわたしは、労組活動を通じて、その実態の一端を直接知る経験もしていました。新聞労連での専従活動を終えて社会部デスクに復職する際、非正規雇用の労働者の権利擁護や待遇の改善は、労組運動にとっても、マスメディアの報道にとっても大きな課題だろうと考えていました。
 その2年後に事件は起きました。男は派遣切りに遭ってほどなくでした。無差別殺人の動機も、そうした境遇に根ざしているのではないかと、当初から考えていました。最高裁の確定判決は「派遣社員として職を転々とし、孤独感を深めていたなか、没頭していたネット掲示板で嫌がらせを受け、派遣先でも嫌がらせを受けたと思い込み、強い怒りを覚えていた」と指摘し「嫌がらせをした者らに、その行為が重大な結果をもたらすことを知らしめる」ことが犯行動機だったと認定しています(朝日新聞より)。男の孤独感は、やはり働き方と密接な関係があったのではないか。この孤独感は何ともならなかったのか。労働組合運動とマスメディアの仕事の双方に身を置いたわたしには、忸怩たる思いがあります。
 刑の執行を伝える7月27日付の朝日新聞に、中島岳志・東京工業大教授の長文の談話が載っています。この秋葉原の事件から、相模原の障害者殺傷、京都アニメーションの放火殺人、安倍晋三元首相の殺害まで、無差別の殺意は根っこでつながっているとの指摘は、その通りだと感じました。一部を書きとめておきます。

 無差別殺傷事件は、自らの苦しみが誰によって強いられているのか、ターゲットが見えない中で起きる。
 加藤君もその構造の中にいた。彼の鬱屈(うっくつ)は、彼の世界の中心である秋葉原で暴れるという形で表れた。
 近年は、苦しみの矛先を向ける像が抽象的だが具体化してきている。
 例えば相模原市の障害者施設で入所者らが殺傷された事件では、犯人の鬱屈は「社会全体が苦しいのは障害者に予算が使われているからだ」と障害者に向かった。
京都アニメーションの放火殺人事件では、容疑者は、なぜ苦しい目にあっているかについて、「京アニに自分のアイデアが奪われた」と話したとされる。小田急線車内で起きた事件は「幸せそうな女性」に向かった。
 僕は矛先はいずれ政治に向かうのではと恐れ、秋葉原事件以降は、政治家や財閥がターゲットになった戦前の事件を調べて執筆してきた。
 先日の安倍元首相の事件で、恐れていた事態がついに起きてしまった。
 秋葉原事件の教訓にこの14年間、社会や政治が対応できなかった結果だろう。
 格差、貧困、労働の形態の問題は、克服できたかというとむしろ悪化した。僕はこれらは一連の事件で、秋葉原事件からつながっていると見るべきだと思う。

 「格差、貧困、労働の形態の問題は、克服できたかというとむしろ悪化した」。依然として、労働運動とマスメディアの報道の課題だと思います。

安倍元首相の国葬、産経・FNN調査では賛否が拮抗~産経「主張」(社説)は自社調査結果に言及せず

 安倍晋三元首相の国葬に対して、産経新聞とFNN(フジテレビ系)が合同で7月23、24日に実施した世論調査では賛否が割れたことが報じられています。産経新聞の紙面では26日付朝刊(東京本社)に掲載されています。政府が「国葬」とすることを決め、費用は全額国費で負担する、との決定について、「よかった」「どちらかといえばよかった」が計50.1%、「よくなかった」「どちらかといえばよくなかった」が計46.9%とのことです。その差は3.2ポイント。産経新聞はサイド記事で「拮抗」と評しています。
 岸田文雄首相が記者会見で、安倍元首相の国葬を表明したのは7月14日でした。以後、わたしの目に止まった範囲ですが、マスメディアの定例世論調査は23日までに朝日新聞、毎日新聞、NHKの3回ありました。国葬に対しては法的な根拠や手続き、安倍元首相の功罪などで疑義や異論がさまざまに指摘されています。世論調査では各メディアとも当然に質問を用意するだろうと思っていました。しかし、朝日新聞、毎日新聞の調査では国葬についての質問はありませんでした。NHKの調査では、国葬とする政府の方針に対して「評価する」49%、「評価しない」38%の結果でした。
 一方では、自民党の茂木幹事長が18日の会見で「国民から『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」と言い放ち、疑義や異論があること自体に向き合おうとしない姿勢を顕著に示しました。この見解は現在も撤回していないようです。産経新聞とFNNの合同調査の結果は、わたしが目にした限り、安倍元首相の国葬に対する世論の状況を示すものとして、NHKに次ぐ2例目です。この二つの調査結果から言えるのは①社会の中で国葬の賛意は半分程度であること②「いかがなものか」との意見も3分の1から半数近くあること―です。朝日新聞、毎日新聞が調査で取り上げなかった理由は分かりませんが、仮に取り上げていれば、より民意の所在を探る材料が増えていたはずで、茂木幹事長も“暴言”を放置できないのではないか、と感じます。

 ただし、産経新聞・FNNの調査結果をどう評価すればいいのか、わたしには当惑もあります。
 産経新聞は調査結果を掲載した同じ26日付紙面に、安倍元首相の国葬を巡る2回目の社説(「主張」)を掲載しました。「野党の反対は理解できぬ」との見出しで、国葬の決定を積極的に評価する内容です。もともと産経新聞は、安倍元首相を国葬で送るよう、岸田首相が表明する前から主張していました。
※産経新聞「安倍元首相の国葬 野党の反対は理解できぬ」=2022年7月26日
 https://www.sankei.com/article/20220726-NG2IVQEVDVMP3L3EVBV7JGWM4M/

 その2回目の「主張」の中に、以下の一文があります。

各種世論調査で、国葬に賛意を示す国民は多数を占めているが、慎重派も少なくない。

 先述のNHKの調査では、「評価する」が「評価しない」を上回っている、とは言えますが、過半数に達しておらず「賛意を示す国民は多数を占めている」とまでは言えません。自社とFNNの合同調査も産経新聞自らが、賛否が割れている、拮抗していると書いている通り「賛意を示す国民が多数」ではありません。そもそも産経新聞の社説には、自社の世論調査結果への言及が見当たりません。言及すれば、「国葬に賛意を示す国民は多数を占めているが、慎重派も少なくない」との表現と齟齬をきたすようにも思います。
 産経新聞とFNNの合同世論調査では以前、データのねつ造がありました。現在は信頼回復の途上だとわたしは考えています。産経新聞の社説が調査結果に言及しない理由は分かりませんが、やはりこの調査結果の扱いには慎重にならざるを得ません。

 安倍首相の国葬を巡っては、熊本日日新聞や南日本新聞(本社鹿児島市)などの地方紙がSNSを通じて賛否を問うアンケートを実施しています。結果はいずれも「反対」が「賛成」を上回っており、南日本新聞の調査では「反対」が72%に上っています。

※南日本新聞「安倍元首相国葬 反対72%『安易な神格化懸念』『国費負担に違和感』 賛成23%『在職最長、功績ある』 実施の是非巡りアンケート」=2022年7月25日
 https://373news.com/_news/storyid/160064

 これらの結果はネット上で話題になっていますが、世論調査とはまったく別物であり、そのことは各紙の記事にも明記されています。世論調査は、限られたサンプル数の中に世論の動向を正確に反映繁させるために、調査対象者の「無作為抽出」にさまざま手間や費用をかけています。対して地方紙のアンケートは、調査対象者の母集団は新聞社のSNSに登録している人たちに限られています。世論調査とは異なる、文字通りアンケートです。
 なぜ今回そうしたアンケートが話題になるのかは、全国紙などの定例世論調査であまり取り上げていないことと無関係ではないように思います。仮に、朝日新聞と毎日新聞が世論調査で質問していれば、NHKと合わせて3件となっていました。それだけあれば、世論の受け止め方はかなり正確に分かったはずです。世論調査結果があまりにも少ないために、地方紙は地方紙で、民意が安倍元首相の国葬をどう見ているのかを知るために、自らができることをやろうとしている、とわたしは考えています。あるテーマに対して、社会で賛否が分かれていることは、それ自体が社会で共有されるべき情報です。

「東北の被災地に刻まれている記憶は複雑だ」(河北新報)~安倍元首相の国葬に疑義示す社説、論説が続く

 安倍晋三元首相の国葬を巡る新聞各紙の社説、論説の記録の続きです。岸田内閣が国葬の実施を閣議決定した7月23日前後にも、社説、論説の掲載が相次ぎました。
 もっとも印象に残るのは22日付の河北新報(本社仙台市)の社説「性急な決断、『聞く力』どこへ」です。地域に根差した視線で、安倍元首相の「実績」について「特に東北の被災地に刻まれている記憶は複雑だ」として、厳しく問うているのが目を引きました。
◎河北新報「安倍元首相『国葬』 性急な決断、『聞く力』どこへ」=7月22日付
 https://kahoku.news/articles/20220722khn000008.html

 東京電力福島第1原発の状況を「アンダーコントロール」と語って招致した東京五輪は、いつの間にか「復興五輪」から「コロナに打ち勝った証し」にすり替わった。
 「最後は金目でしょ」「まだ東北だったからよかった」「石巻市(いしまきし)」「復興以上に大事」「長靴業界はもうかった」
 第2次安倍内閣以降、閣僚らの失言、暴言は何度も繰り返された。更迭せざるを得なくなると、安倍氏は決まって「任命責任は私にある」と語ったが、具体的な行動で責任を取ることはなかった。
 連戦連勝だった在任中の国政選挙でも、東北では1強政治への不信感から、自民党候補が幾度も苦杯をなめた。
 全国では未解明のままの森友・加計学園問題や桜を見る会の疑惑を巡る批判が根強い。礼賛一色となるような葬送には、違和感を覚える人もいるだろう。

 23日付では、北海道新聞、信濃毎日新聞がともに国葬については2回目となる社説を掲載。北海道新聞(「弔意の強制にならぬか」)は「国費で経費の全額を賄う国の儀式として葬儀を実施するのは『弔意の強制』にならないか」と、疑問を呈しています。政府は、国民に弔意を強制することはないと説明していますが、口にするかしないか、通達、通知を出すか出さないかの問題ではなく、国費で全額賄うこと自体が「強制」の意味を帯びるのではないかと、危惧を表明しています。
 費用については信濃毎日新聞(「割れる民意は見ぬふりか」)も「異例の儀式に税金を使うのだから、国会で国葬の是非やあり方について審議するのが筋だ。主権者は誰か。岸田政権は忘れてはならない」と指摘しています。

 全国紙では毎日新聞が23日付で、2度目の社説を掲載しました。前回は、7月14日に岸田首相が記者会見で国葬の方針を表明した直後の16日付(見出しは「国民の思い尊重する形に」)でした。「落ち着いた状況の中で、世論を見極めながら決めるべきではなかったか」「さまざまな国民の思いを尊重し、世論の分断を招かぬよう丁寧に進めなければならない」と指摘していたものの、わたしは「いち早く容認」と受け止めました。2度目の今回は「なぜ国会説明しないのか」の見出しで、賛否両論が噴出していることを指摘し、国会での説明を求めていますが、国会審議は最初の社説ではっきり主張しておいても良かったのではないかと感じます。
 日経新聞は23日付で初めて社説で取り上げ(「広く国民の理解を得る国葬に」)、「内政や外交の実績を総合的に評価した判断は理解できるが、国内には国葬への慎重論もある。運営方法の透明性を高め、広く理解を得られる形での実施をめざしてほしい」と求めています。

 7月22日付から24日付で、ネット上の各紙のサイトで確認できた関連の社説、論説の見出しを書きとめておきます。全文が読めるものはリンクもはっておきます。
 それ以前の社説、論説は、以下の過去記事を参照いただければと思います。

news-worker.hatenablog.com

news-worker.hatenablog.com


【7月22日付】
▼河北新報「安倍元首相『国葬』 性急な決断、『聞く力』どこへ」
 https://kahoku.news/articles/20220722khn000008.html
▼秋田魁新報「安倍氏銃撃2週間 多くの課題、突き付ける」
 https://www.sakigake.jp/news/article/20220722AK0006/

 国葬の対象者や実施要領を明文化した法令はない。岸田首相は会見で、憲政史上最長の在職期間や国際社会からの高評価、選挙中の蛮行による死去などを理由に挙げた。「閣議決定によって実施は可能」と説明したが、費用を全額国費で負担するのであれば国会での議論を経て決めるのが本来の姿ではないか。
 (中略)
 自民党の茂木敏充幹事長は反対する野党に対して強く反論。「国民から、いかがなものかとの指摘があるとは認識していない。国民の声とはかなりずれている」と述べた。国民に多様な考えや意見があることを認めようとしない姿勢に映る。
 国葬を強引に営むことで国民の分断を進めてはならない。野党が求めているように、政府は国葬の意義や理由を国会で丁寧に説明する必要がある。

▼山梨日日新聞「安倍元首相の国葬 説明不十分では分断を生む」

【7月23日付】
▼毎日新聞「安倍氏『国葬』を決定 なぜ国会説明しないのか」
 https://mainichi.jp/articles/20220723/ddm/005/070/137000c

 銃撃事件で死亡した安倍晋三元首相の「国葬」を9月27日に行うと、政府が閣議決定した。
 岸田文雄首相が先週、方針を発表して以来、賛否両論が噴出している。だが、なぜ国葬なのか、説明が尽くされていない。
 (中略)
 首相は国葬とすることによって「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」と強調している。
 日本の民主主義の基盤は、国民の代表で構成する国会である。国民の疑問に答えるには、政府が国会で説明し、議論することが欠かせない。

▼日経新聞「広く国民の理解を得る国葬に」
 https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK2251V0S2A720C2000000/

 政府が安倍晋三元首相の国葬を9月27日に都内の日本武道館で行うと閣議決定した。内政や外交の実績を総合的に評価した判断は理解できるが、国内には国葬への慎重論もある。運営方法の透明性を高め、広く理解を得られる形での実施をめざしてほしい。
(中略)
不慮の死を遂げた元首相を静かに悼む環境がなにより大切だ。今回の国葬が世論の分断をさらに広げないよう努めるのも政府・与党の役割である。
岸田首相は葬儀委員長として国葬の意義を丁寧に説明し、透明性の高い運営方法を主導してほしい。それが時代に合った国葬のあり方を考える基準にもなる。

▼北海道新聞「『国葬』閣議決定 弔意の強制にならぬか」
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/709154

 当日は休日にしない方針で、松野博一官房長官は「国民一人一人に喪に服することを求めるものではない」と強調した。
 だが、国費で経費の全額を賄う国の儀式として葬儀を実施するのは「弔意の強制」にならないか。
 安倍政権は森友・加計学園問題や桜を見る会の疑惑などもあり、国民の間で評価が分かれている。国葬に反対する声は少なくない。
 国葬の対象や要領などを定めた法令はなく、政府が閣議のみで一方的に決めた手法も疑問である。
 国葬とする基準や費用負担のあり方について、政府は国民が納得できる説明を尽くし、国会で議論を深めるべきだ。

▼東奥日報「分断回避へ説明尽くせ/安倍氏の国葬」
 https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1221467
▼山形新聞「安倍氏の『国葬』 分断回避へ説明尽くせ」
 https://www.yamagata-np.jp/shasetsu/?par1=20220723.inc
▼信濃毎日新聞「安倍氏国葬決定 割れる民意は見ぬふりか」
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022072300042

 このコロナ禍、近親者のみで葬儀を済ませる世帯が目立つ。故人との別れとなる弔問を控えたという人も多かろう。そんな折、国は海外から要人を招き、盛大に儀式を催す。「国民の声」を認識できていないなら、ずれているのは政府・与党の方だろう。
 松野博一官房長官は「国民一人一人に喪に服すことを求めるものではない」と繰り返す。弔旗の掲揚や黙とうを強制してはならないのは、言うまでもない。
 政府は、予備費からの費用支出を想定する。異例の儀式に税金を使うのだから、国会で国葬の是非やあり方について審議するのが筋だ。主権者は誰か。岸田政権は忘れてはならない。
 海外から要人が来れば、厳重な警備態勢が要る。平日の都内の交通規制も課題になる。急拡大する新型コロナ感染が収束しているかどうかも気がかりだ。
 何より、十分な説明もないまま異論を封じれば、国民との間にしこりが残るに違いない。

▼北日本新聞「安倍元首相の国葬/弔意を強制せぬように」
▼福井新聞「安倍氏の『国葬』 多くの賛同へ説明尽くせ」
 https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1596022

 現行憲法下で国葬に関する明文化した法令はない。岸田首相は国の儀式を所掌する内閣府設置法があり、閣議決定で国葬の実施は可能としたが、恣意(しい)的運用の懸念は否定できない。ましてや、自民党内の保守派やその支持層への配慮はなかったといえるのか。
 立民や日本維新の会などから国葬とした判断について首相の説明責任を問う声が上がっている。8月3日召集予定の臨時国会や閉会中審査での質疑を求めている。自民党側は応じない構えだが、より多くの国民の賛同が欠かせないはずであり、国会で理解を得る努力が必要だろう。首相は「民主主義を断固として守り抜く」と訴えた以上、国葬賛成派と反対派の間で新たな分断、対立を生まぬよう説明を尽くすべきだ。

▼大分合同新聞「安倍氏の国葬 分断回避へ説明尽くせ」

【7月24日付】
▼茨城新聞「安倍氏の国葬 分断回避へ説明尽くせ」
▼山陰中央新報「安倍氏の国葬 分断回避へ説明尽くせ」
 https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/243389

国葬を「天皇の国事行為」と位置付けるしか、「閣議決定による実施」に適法性は見いだせない

【管理人注】この見出しは逆説です。国葬を天皇の国事行為に位置づけよ、という趣旨ではありません。わたしは国葬自体に反対です。

 一つ前の記事の続きです。
 安倍晋三元首相の国葬をめぐって、反対や異論の理由が「安倍元首相は功罪半ばする」「評価は定まっていない」などと、「対象が安倍元首相だから」という点に向きがちなことが気になっています。もっと丁寧な議論が必要で、まずは「だれが対象か」からいったん離れて、国葬のそもそも論が議論されるべきだろうと思います。国葬は現在、日本の法令のどこにも規定がありません。にもかかわらず、岸田文雄首相は「内閣府設置法」を根拠に、内閣が閣議決定で実施を決めることができるとの解釈を取っています。あたかも「無から有を生む」かのような、そんな解釈は妥当なのか、ということです。

 今回の記事の結論を先に言えば、国葬を憲法が定める「天皇の国事行為」と位置付けるならば、閣議決定で国葬の実施を決める手続きは適法と言えるように思います。適法とするにはそれしかないのでは、とも思います。国葬に天皇が臨席するのかどうか、7月22日の閣議決定後の報道を見てもよく分かりません。岸田政権は天皇の国事行為と位置付けるような説明は行っていないのですが、法治の根幹にかかわることであり、緻密な検証はマスメディアにとっても課題だろうと思います。

 このブログの一つ前の記事でも触れましたが、内閣府設置法は内閣府の任務と所掌事務、組織を定めている法律です。

第一条 この法律は、内閣府の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定めるとともに、その所掌する行政事務を能率的に遂行するため必要な組織に関する事項を定めることを目的とする。

 また、所掌事務を定めた第4条第3項33号には以下のように「国の儀式」も記載されています。

三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。

 しかし、この規定からさかのぼって、「国の儀式」に何を選ぶかまでもがフリーハンドで内閣の権限として認められていると考えるには、無理があるように思います。「国の儀式」と「内閣の行う儀式及び行事」とが並列で記されていること、「他省の所掌に属するものを除く」と補足されていることから、「内閣の儀式、行事」はともかくとして、ここで想定されている「国の儀式」はやはり、日本の法令のどこかに根拠を持つものでなければならないように思います。
 報道によると、松野博一官房長官は閣議決定後の会見で、同様の事例として2019年の「即位礼正殿の儀」など皇室の代替わりの関連行事を挙げて、この解釈の正当性を主張したようです。しかし、皇室の代替わりに伴う儀式については、皇室典範の第24条に「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」と規定されています。国葬と同列に論じるのは適切ではないように思います。

 長くなりましたが、ここまでは一つ前の記事でも書いたことです。実は、「国の儀式」の中で、どう考えればいいか、よく分からない事例がほかにありました。国葬の法的根拠についての論考をあれこれ検索する中で、以下のような見解を目にしました。

 たしかに、「国葬」と明記された法律は存在しない。ただ、「国葬」と明文で規定した法律があるかどうかと、政府がそうした儀式を実施するための法的根拠があるかどうか(適法かどうか)は、別問題だ。
 例えば、毎年8月、政府主催で終戦の日に行う「全国戦没者追悼式」も、明文の法律規定があるわけではない。これも閣議決定により行われている。東日本大震災の追悼式も閣議決定により行われている。これらに一つ一つ、明文の法律規定はあるのか、との議論は聞かれない。誰も開催自体に異論がないためだ。

※ヤフーニュース個人「安倍元首相国葬『法的根拠がない』は本当か? ミスリードな報道も 岸田首相は内閣府設置法と説明」楊井人志氏(弁護士)=2022年7月16日
 https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20220716-00305847

 この論考の筆者は、内閣府設置法を根拠に閣議決定で国葬の実施を決める手続きは適法だ、との見解だと受け止めました。
 「全国戦没者追悼式」も東日本大震災の追悼式も「国の儀式」ではあるものの、法令に明記はされておらず、閣議決定を基に行われているのはその通りです。国葬とどう違うのか。国葬も同じだと考えていいのか。そこがよく分からず、頭の中にもやもやが残っていました。
 そんな状態でこの二つの追悼式の過去の報道などを眺めていて、はっと気が付きました。ともに天皇が出席しています。
 日本国憲法の最初の1条から8条までは、天皇に関する規定です。うち7条はいわゆる「国事行為」の規定です。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 10番目に「儀式」が明記されています。つまり、「全国戦没者追悼式」も東日本大震災の追悼式も天皇が出席するからこそ、内閣が助言と承認を行う天皇の国事行為として、内閣が閣議決定で「国の儀式」として実施を決めることができる―。そう考えれば、疑問はありません。「全国戦没者追悼式」も東日本大震災の追悼式も、それ自体は法令に明記はありませんが、法的な根拠は憲法に求めることが可能だということです。
この解釈が妥当なのかどうかは、専門家に判断してもらいたいと思いますが、少なくともわたし自身は、疑問がクリアに解消できました。
 さて、では国葬はどうでしょうか。
 仮に天皇が参列するのであれば、上記の追悼式と同じように、天皇の国事行為として、憲法に根拠を求めることができるように思います。閣議決定で国葬の実施を決めることができるとする、唯一の分かりやすく納得できる理由だと思います。しかし、評価が定まっていない、功罪が相半ばし、死してなお批判も少なくない政治家の葬儀を国事行為と位置付けるのは、いくら何でも無理があります。天皇の政治利用です。
 また、天皇の国事行為として「儀式を行ふ」と明記されているのですから、法令に書かれている「国の儀式」は本来、国事行為として行っても問題がないものに限られるのではないかと感じます。「国の儀式」は天皇の国事行為としての「儀式」と同義ではないのか、との疑問があります。
 憲法は日本の法令の最上位にあります。その憲法の規定をよそに、法令としては下位にある内閣府設置法に根拠を求めて、「何が『国の儀式』に当たるのかは、内閣が自由に決めてよい」などとする解釈を取るのは「法治」の逸脱だと感じます。少なくとも、憲法が国権の最高機関と規定する国会での議論を経て、整合性を確認する手続きが絶対に不可欠だと思います。

 あらためて、7月22日の閣議決定後の官房長官の記者会見と、その後のマスメディアの報道をチェックしましたが、安倍元首相の国葬に天皇が参列するかどうか、よく分かりません。官房長官会見では、天皇の臨席について質問はなかったようです。手続きが適法かどうかを判断する上で、今からでもマスメディアが当然にチェックしなければならない点だと思います。