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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

「昭和」の戦争とコロナ禍での東京五輪開催強行

 4月29日は「昭和の日」の祝日です。昭和のころは天皇誕生日でした。1989年1月に昭和天皇が亡くなり「平成」に改元されると、しばらくは「みどりの日」でした。2007年に現在の呼び名に変わりました。「国民の祝日に関する法律」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としています。
 2021年の今日この日に、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み」ながら思うのは、新型コロナウイルスの感染拡大と7月に予定されている東京五輪のことです。ウイルスは変異して感染力を強め、重症化する率も高まっているとの指摘の下、医療体制はひっ迫の度を強めています。東京や大阪などでは3度目の緊急事態宣言が発令されました。他の地域でも感染者は増加傾向。一方でワクチン接種はスローペースです。こんな状況で本当にあと3カ月で五輪が開催できるのか、開催していいのか。マスメディア各社の世論調査でも、予定通り7月に五輪を開催すべきだ、との回答は、例えば共同通信の今年4月の調査では24.5%と少数です。
 もう五輪の中止を検討すべき時期ではないかと思うのですが、見直しの動きは一向になく、各地で聖火リレーは続き、菅義偉首相は「五輪開催はIOCが決めている」と他人ごとのような口ぶり。大会組織委の橋本聖子会長も28日の記者会見で「無観客の覚悟は持っている」と話し、何があっても開催する、とのかたくなな姿勢は変わっていません。
 この組織委や菅政権の姿を見るにつけ、昭和の第二次世界大戦末期、敗色は濃厚だったのに戦争を続け、やがて日本中の主要都市が空襲で焼け野が原になり、沖縄戦、広島、長崎への原爆投下、ソ連参戦があってもなお、本土決戦を主張していた旧軍部のことが重なって見えます。仮に連合軍に本土決戦で一撃を加えるのは良しとして、その後の国のありように、いったいどんな展望があったでしょうか。
 今日の東京五輪も、では無観客で開催にこぎつけたとして、そのことにどんな意義があるというのでしょうか。例え選手や役員だけの参加でも、もともと酷暑が予想される時期の開催であり、一定数の医療関係者の手当ては必須です。それだけ、東京の医療態勢がひっ迫の度を増すのは明らかです。ひとたび東京で医療崩壊が起これば、どんな事態に見舞われるのか。組織委や菅政権は今や、事後のことへの想像力を欠いたまま開催が自己目的化しているように思えます。とても危うい。
 昭和の戦争では、最終的に日本は本土決戦を回避し降伏しました。凄惨な戦争であり、日本だけでなくアジア諸国にもおびただしい犠牲を生みましたが、それでも日本の降伏によって救われた人命がありました。そこから復興が始まりました。

 昭和の戦争のころと今日とで異なっているのは、曲がりなりにも今は表現の自由が保障されていることです。昭和の戦争では、新聞は自由な報道は許されず、戦争遂行に加担した歴史があります。現代の組織ジャーナリズムはその歴史の教訓を忘れることなく、今ある表現の自由を行使し、社会に必要な情報を届けていかなければなりません。