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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

宝島社 タケヤリ広告に改めて思う「だまされることの罪」 ※追記 宝島社のヘイト本

 出版社の宝島社が5月11日付の朝日新聞、読売新聞、日経新聞の3紙朝刊に出稿した企業広告が話題になっています。見開き2ページいっぱいに、戦時中の少女たちの戦闘訓練とおぼしき写真、その中央に新型コロナウイルスを模したと思われる赤い球体を配しています。日の丸を思わせるデザインは、意図したものなのでしょうか。
 大きな活字で「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。」との文章。続いて小さな活字で「私たちは騙されている。この一年は、いったい何だったのか。」ときて、最後は「今こそ、怒りの声を上げるべきだ。」と結んでいます。ワクチンの確保と接種が進まず、一向に事態の収束が見えないことについて、政治への直接的な怒りを表明しています。勝てる見込みがないのに、社会全体を戦争遂行に駆り立てていた昭和の戦時体制と今とを重ね合わせた表現には、新聞紙のサイズの大きさもあいまってインパクトがあります。

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 サイト「PR TIMES」に「広告意図」が載っています。
 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001174.000005069.html

【広告意図】
新型コロナウイルスの蔓延から、すでに一年以上。しかし、いまだに出口は見えません。マスク、手洗い、三密を避けるなど、市民の努力にも限界があります。自粛が続き、経済は大きな打撃を受け続けています。厳しい孤独と直面する人も増える一方です。そして、医療の現場は、危険と隣り合わせの状態が続いています。真面目に対応している一人ひとりが、先の見えない不安で押しつぶされそうになり、疲弊するばかりです。
今の日本の状況は、太平洋戦争末期、幼い女子まで竹槍訓練を強いられた、非科学的な戦術に重なり合うと感じる人も多いのではないでしょうか。
コロナウイルスに対抗するには、科学の力(ワクチンや治療薬)が必要です。そんな怒りの声をあげるべき時が、来ているのではないでしょうか。

 戦時中の写真と「私たちは騙されている」の一文を見ながらわたしが思ったのは、戦前に映画監督、脚本家として活躍した伊丹万作(俳優、映画監督の故伊丹十三氏の父親です)が敗戦翌年の1946年に残した小論「戦争責任者の問題」です。この中で伊丹は「だまされることの罪」を説いています。
 まず伊丹は「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない」と書きます。しかし、だまされた人間もだれかをだましていたのであり、「日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろう」と指摘し、以下のように続けます。
 「このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。」

 この小論の圧巻は以下の部分です。少し長くなりますが、引用します。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 あらためて今、「自分はだまされているのではないか」と自問し、自分で自分を疑ってみることは、とても重要だと感じています。


 ※このブログで伊丹万作と「戦争責任者の問題」を最初に紹介したのは2013年5月のことでした。憲法改正を悲願とする安倍晋三首相(当時)が、まず改正手続きのハードルを下げることを目論んでいました。姑息でした。この記事には今もアクセスがあります。
 https://news-worker.hatenablog.com/entry/20130507/1367881891

news-worker.hatenablog.com

 ※「戦争責任者の問題」は著作権フリーです。パブリックドメインを集めたネット上の図書館「青空文庫」に収容されています。
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

www.aozora.gr.jp

 

【追記】2021年5月12日9時

 宝島社の広告への反応は賛同に限りません。同社がヘイトを含む書籍を多数刊行していることへの指摘もあります。

  試みに宝島社のサイトで、フリーワードに「嫌韓」を入力して検索してみました。「嫌韓流」がずらりと並びます。

※ 本を詳しく検索する│宝島社の公式WEBサイト 宝島チャンネル


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