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組織ジャーナリズムに身を置き40年余

コロナ政府対応 新聞各紙のミスリードの教訓~「落としどころ」を探るばかりでなく

 新型コロナウイルスへの対応で日本政府は5月14日、新たに北海道と岡山、広島両県を緊急事態宣言の対象とし、群馬、石川、熊本の3県に「まん延防止重点措置」を適用することを決めました。前日の13日に政府が決めた方針は、緊急事態宣言の新たな対象指定は見送り、岡山、広島と群馬など計5県に重点措置を適用するとの内容でした。北海道は自治体が緊急事態宣言を求めていたのにその必要を認めず、既に適用していた重点措置の対象地域を拡大することにとどめていました。ところが14日午前、政府から諮問を受けた専門家から異論が噴出。閣議を挟んで、政府が方針を変更し、ようやく了承を得ました。ウイルスの変異株が広がり、感染力の強さや重症化の速さから大阪では医療がひっ迫している実態がある中で、政府の対応のあまりの悠長ぶり、菅義偉首相の定見のなさぶりがくっきりと浮き彫りになりました。

 ▼専門家の反対、確かに異例だが
 15日付の東京発行の新聞各紙朝刊(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙)も、「政府案一変 緊急事態」(朝日新聞)、「専門家意見で転換」(読売新聞)などの見出しと共に1面で大きく扱い、総合面の長文のサイド記事などで、専門家から次々に反論され窮した西村康稔・経済再生担当相が「総理と相談させてほしい」と中座し、報告を受けた菅首相が最後に変更を指示したことなど、政権内の動きを詳しく報じています。朝日新聞2面掲載の「時時刻刻」は「追認決別 動いた専門家」の見出しとともに、これまでは政府方針を追認するだけだった専門家が反対意見を述べ、政府方針を変更させたことに対して「極めて異例」と表現しています。
 注目されるのは、政府から正式に諮問を受ける前日13日のうちに、専門家たちが非公式に連絡を取り合い、政府方針に反対することを申し合わせていた、との点です。15日付朝刊の記事で朝日新聞のほか毎日新聞も触れています。専門家の反対は諮問当日のハプニングではなく、専門家としての矜持、使命感や責任感からだったのだろうと、わたしは受け止めました。確固たる意思に基づく“造反”だったのだろうと思います。
 昨年来のコロナ対応で、首相が了承した政府方針が専門家の反対意見によって変更になった例はなく、その意味では14日の出来事は確かに異例です。しかし、政府の当初の方針があまりに悠長で甘かったためであり、その意味では専門家は専門家としての役割を果たしただけであるようにも思えます。むしろ、マスメディアが異例さを強調する様子からは、こういう事態になることをまったくマスメディアが予想もしていなかったこともまた浮き彫りになっているように感じます。

 ▼そろってミスリード
 実は東京発行の6紙の14日当日付の朝刊は、そろってミスリードの結果になっています。各紙が1面に掲載した記事の見出しは以下の通りです。朝日新聞と毎日新聞は1面トップでした。
・朝日新聞「まん延防止 5県追加へ/群馬・石川・岡山・広島・熊本」
・毎日新聞「まん延防止 地方で拡大/群馬など5県適用へ/政府きょう決定」
・読売新聞「『まん延防止』5県追加へ/政府 群馬・石川・岡山・広島・熊本」
・日経新聞「まん延防止5県追加/群馬・石川・岡山・広島・熊本/きょう決定」
・産経新聞「群馬など5県 蔓延防止へ/16日~来月13日 札幌は緊急事態見送り」
・東京新聞「群馬 まん延防止適用へ/札幌 緊急宣言見送り方針」
 見出し、記事本文とも、岡山、広島も含めて5県に「まん延防止重点措置」が適用されることは確定的な事実としてしか受け取れない表現です。北海道の緊急事態宣言について、かろうじて東京新聞が「札幌 緊急宣言見送り方針」とこれが政府の方針であり、まだ最終決定していないことを示すとも受け取れる表現にしていますが、本文では専門家への諮問で変更になる可能性には触れておらず、「札幌の緊急自体宣言は見送りで決まり」との読後感しかありません。各紙とも、政府の諮問通りに決まることをまったく疑っていなかったことが見て取れます。

※写真 朝日、毎日、読売3紙の14日付朝刊(上の列)と14日夕刊(下の列)の1面(いずれも東京本社発行最終版)

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※写真 東京発行の15日付朝刊各紙

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 ▼この政権では命を守れない
 このミスリードはやむを得なかったのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 政府が当初方針を決めた13日の動きを見ながら、わたしは大きな疑問を感じていました。例えば北海道への対応です。
 札幌を中心にした感染者の急増で、道が緊急事態宣言を求めたのに対し、政府が見送りを決めたと13日夕に報じられました。そのことを知って強い違和感を覚えました。まず感じたのは「政府は自治体の意向を尊重するのではなかったか」ということでした。札幌は東京五輪でマラソンが予定されており、先日テスト大会が行われていました。感染者の急増はその後のことです。「マラソン開催地だから、緊急事態宣言による印象の悪化を恐れるのか」とも思いました。
 夜になって菅首相が記者団との質疑に応じ、緊急事態宣言の見送りを巡って、まん延防止等重点措置が適用されたばかりであることを挙げて「この措置が有効なのか、また、そうでなければどのような対策が必要なのか、そうしたことを判断した上で対応することが大事だと思っている」と話しました。わたしがこのコメントを知ったのは翌朝でしたが、耳を疑いました。効果を確認する? 以前も大阪を巡ってそんなセリフが交わされていなかったか? その大阪は今、どうなっているか分かっているのか? ろくな医療を受けられず、自宅待機のまま亡くなる事例が相次いでいるのに、何を悠長なことを言っているのか、いったい何を見ているのか、と、そんな思いが次々に頭に浮かびました。大事なのは、人の命を守ることです。それなのに菅首相は「様子を見るのが大事だ」と言ったのです。もう、この首相、この政権の下では人の命は守れない、とすら感じました。

※参考 首相官邸ホームページ「まん延防止等重点措置の適用の要請等についての会見」=2021年5月13日 

www.kantei.go.jp

 ▼「落としどころ」報道だけでなく
 こうした疑問を持つことは、特別のことではないはずです。取材記者が、デスクが、そして出稿の最終責任を持つ編集幹部が、こうした疑問を共有し、「これはおかしいのではないか」とのこだわりを大事にしていれば、その後の取材や記事の書き方も違ったものになっていた可能性があったのではないかと思います。専門家らはこれまでは政府方針を追認するだけだったとしても、大阪の惨状が知られ、コロナ禍が今までは違ったフェーズに入っていることが間違いない現在、専門家にも専門家としての矜持と責任感があるはず、と思い至ることは、さほど難しいことではないはずです。
 マスメディアの組織ジャーナリズムにとっては、何が起きたかを伝えることとともに、これからどうなるかを伝えることも確かに重要です。しかし「この問題はどう決着するか」との、いわば「落としどころ」を探ることばかりになることには危うさがあることを、今回のミスリードの1件は示しているように思います。どんなテーマであれ、今後の展開を探ることは、組織ジャーナリズムの重要な役割ですが、同時に「それでいいのか」「この伝え方でいいのか」と半歩でも立ち止まってみることが必要です。
 大事なのは、今回のミスリードを教訓としてとらえ、組織内で共有し、今後の組織ジャーナリズムに生かすことです。仮にも「今まで、政府方針がくつがえることはなかった。言いなりだった専門家が反対するなど予測不可能。今回のミスリードは結果論であって仕方がなかった」などということで済まそうとするなら、専門家たちの職責への矜持や責任感へのリスペクトを欠くことになりますし、同じ失敗を繰り返すでしょう。結果として、マスメディアの社会での存在意義を自ら失わしめていくことにしかならないでしょう。そうならないための自己変革が間に合うよう、わたしは願っています。