戦争と平和
菅義偉首相が訪米し、バイデン大統領と4月16日午後(日本時間17日未明)にホワイトハウスで会談しました。会談後に発表した共同声明には「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」として、「台湾」が…
沖縄県嘉手納市の米軍普天間飛行場の返還に日米両国が合意したのは1996年4月12日。ことしで25年がたちました。しかし、いまだ返還も閉鎖もされず、周囲の市街地を米軍機が飛び交う危険な状態が続いています。同じ沖縄県内、名護市辺野古では普天間…
第二次世界大戦の末期、1945年3月10日未明に東京の下町、現在の江東区から墨田区にかけての一帯は米軍のB29爆撃機の大編隊の空襲を受け、一夜にして10万人を超える住民が犠牲になりました。「東京大空襲」です。以後、日本中の都市が次々に空襲…
先日、神奈川県川崎市の川崎大師(真言宗智山派大本山平間寺=へいげんじ)を訪ねました。東京・品川から京浜急行線の特急に乗れば、15分ほどで京急川崎駅に。大師線に乗り換えて三つ目の「川崎大師」駅から徒歩で10分足らずです。初詣でには大勢の参拝…
1月25日付の沖縄タイムスに、陸上自衛隊と米海兵隊が、辺野古新基地に陸自の離島防衛部隊「水陸機動団」を常駐させることで2015年、極秘に合意していたことが分かった、との記事が掲載されました。「沖縄タイムスと共同通信の合同取材に日米両政府関…
太平洋戦争開戦の日の12月8日前後には、新聞各紙にも関連の記事が目につきました。8月の敗戦の日だけでなく、戦争が始まった日のことも語り継ぐことが、戦争体験を風化させず継承していくことにつながるのだと思います。目にした記事の中で、特に印象に…
今から79年前、1941年の12月8日、日本は米国や英国との「太平洋戦争」に踏み切りました。その以前から中国との戦争が続いていました。それから3年8カ月、最後は自国に加え、アジア諸国にもおびただしい住民の犠牲を生んで、1945年8月に日本…
11月の3連休に、ふと思い立って東京都墨田区の飛木稲荷神社を訪ねました。このブログでも2回紹介していますが、東京で戦争があったことを今に伝えるイチョウの木がある神社です。 第2次世界大戦の末期、今から75年前の1945年3月10日未明、現在…
8月15日は、日本の敗戦で第2次世界大戦が終結して75年の日でした。わたしが今、危惧するのは、社会で戦争体験の継承が難しくなっていることです。特に戦没者を「尊い犠牲」と美化し「その上に今日の日本の繁栄がある」と位置付けることは、戦争の実相…
8月になりました。この十数年来、わたしにとっては戦争と平和を考える特別な時間です。 広島市に本社を置く中国新聞社の従業員でつくる中国新聞労働組合は戦後50年の1995年8月、「ヒロシマ新聞」を制作しました。原爆投下によって、中国新聞社は45…
6月23日は、1945年の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終わったとされる「慰霊の日」でした。75年のことし、沖縄タイムスと琉球新報は23日付の社説で、沖縄戦の体験を継承していくことの意義をそれぞれ説いています。▼沖縄タイムス「[慰霊の日に]知…
沖縄県議選の投開票から5日後の6月12日、日本政府は沖縄県名護市辺野古の新基地予定地の埋め立て工事を再開しました。工事関係者1人が新型コロナウイルスに感染したことから、4月17日から工事は中断していました。県議選では、玉城デニー知事の県政…
第2次世界大戦末期の1945年3月10日未明、東京の下町一帯は米軍B29爆撃機の大編隊による空襲を受け、一夜で10万人以上が犠牲になりました。東京大空襲からことしは75年です。このブログでは毎年この日は、努めて何かを書きとめるようにしてい…
光る風 作者:山上 たつひこ 出版社/メーカー: フリースタイル 発売日: 2015/03/30 メディア: 単行本(ソフトカバー) 山上たつひこさんと言えば、少年警察官こまわり君と同級生らのギャグ漫画「がきデカ」で知られます。週刊漫画誌「少年チャンピオン」での…
新聞労連や民放労連、出版労連など日本のメディア関連労組でつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」(略称MIC)と韓国のテレビ、新聞などメディア労働者の「全国言論労働組合」(略称NUM=National Union of Mediaworkers)が9月27日、共同宣言を…
戦後、初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が昭和天皇とのやり取りを書き記していた「拝謁記」をNHKが遺族から入手し、その内容を8月16日に放送しました。NHKは同19日に「拝謁記」のうち自局で放送済みの部分を公開。これを元に新聞各紙も19日…
日本の敗戦で第2次世界大戦が終結して74年。ことしの8月15日は、重苦しい気持ちで迎えました。 一つは日本と韓国の政府間関係の悪化です。大きな要因は、元徴用工への賠償という歴史問題です。「日韓基本条約で解決済み」という主張があるにしても、日…
名古屋市など愛知県で8月1日に始まった芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」の中止が3日、発表されました。この企画展には韓国の彫刻家が制作した慰安婦を象徴した「平和の少女像」が出展されており、2日に視…
一つ前の記事「『不偏不党』の由来と歴史を考える~読書:『戦後日本ジャーナリズムの思想』(根津朝彦 東京大学出版会)」を読み返しながら考えたことを書きとめておきます。組織ジャーナリズムと「ペンか、パンか」の命題のことです。 「ペンは剣よりも強…
第2次大戦末期の1945年6月23日に、沖縄では日本軍の組織的戦闘が終結したとされます。この日は沖縄では「慰霊の日」です。沖縄タイムス、琉球新報の2紙も23日付の社説は慰霊の日がテーマです。 74年前の沖縄戦は、日本本土に米軍を迎え撃つ「本…
6月に入って間もなく、東京都港区赤坂にある「高橋是清翁記念公園」を訪ねる機会がありました。大正から昭和初期にかけて首相、蔵相を務め、1936(昭和11)年に一部の陸軍将校らが起こしたクーデター未遂事件、二・二六事件で暗殺された高橋是清(1…
第2次世界大戦の末期、1945(昭和20)年の3月10日未明、東京の下町地区は米軍B29爆撃機の大編隊の空襲を受け、一夜にして住民10万人以上が犠牲になりました。その「東京大空襲」からことしは74年です。わたしなりに戦争を、中でも生活の場…
※「『本土も当事者』おおむね共通~沖縄県民投票の地方紙、ブロック紙社説」から改題しました(2月28日) 2月24日の沖縄県民投票の結果に対しては、日本本土の地方紙、ブロック紙も社説、論説で取り上げています。ネット上でチェックできたものをまと…
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場移設の移転計画に伴い、同じ沖縄県内の名護市辺野古で進む海面埋め立てへの賛否を問う県民投票は2月24日、投開票されました。結果は以下の通りです。 ・埋め立て「反対」の得票は有効投票総数の72・15%に上る43万…
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設を巡り、同じ沖縄県内の名護市辺野古に新基地を作るための埋め立てに対して賛否を問う県民投票が2月14日、告示されました。24日に投開票されます。沖縄の地元紙2紙は告示当日の14日付の社説でそれぞれ県民投…
沖縄県の米軍普天間飛行場を県内の名護市辺野古に移設することへの是非を問う沖縄県民投票が、県内全自治体で実施される見通しになりました。宜野湾、沖縄など5市長が不参加を表明していましたが、県議会と玉城デニー知事が動き、2択から3択に変更するこ…
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を、沖縄県内の名護市辺野古に新基地を建設して移設することへの賛否を問う沖縄県民投票が2月24日に予定されています。国政選挙や知事選のたびに、「県内移設反対」の沖縄の人々の民意は示されているにもかかわらず、安…
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設―同県名護市辺野古への新基地建設問題で、防衛省は12月14日、沖縄県の反対を押し切り、かねて予告していた通りに、辺野古の埋め立て予定海域に土砂を投入しました。新基地建設反対を明確に掲げて沖縄県知事選に臨…
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設―同県名護市辺野古への新基地建設問題が、大きく動き出しています。岩屋毅防衛相が12月3日、辺野古の新基地予定地の海域に、14日にも土砂を投入すると発表しました。新基地建設反対を掲げて知事選に臨み、安倍晋…
先日、熊本市を訪ねました。用件が終わり、東京へ戻る飛行機の便までの時間を利用して、明治期の西南戦争の激戦地である熊本市北部の田原坂を訪ねました。 西南戦争の説明の一般的な例として、ここではウイキペディアを参照します。「西南戦争(せいなんせん…