ニュース・ワーカー2

組織ジャーナリズムに身を置き40年余

これでも「何があっても五輪開催」なのか~本土決戦(76年前の「オリンピック作戦」)を回避した歴史の教訓に目を

 新型コロナウイルス対策として、東京都、大阪府、京都府、兵庫県に5月11日を期限に出されていた緊急事態宣言が、5月末まで延長されることが7日、決まりました。12日から愛知、福岡両県も加わり、計6都府県となります。変異株の拡大によって大阪は医療のひっ迫が深刻な状況と伝えられており、東京もその後を追う、との指摘もあります。一方でワクチン接種のペースは上がらず、感染の収束は見通せない状況です。そういう中で開かれた菅義偉首相の7日夜の記者会見では、内閣記者会の幹事社から、このコロナ禍でも東京五輪・パラリンピック大会が開催できるのかや、国民の安全を守る決意や責任を問う質問がありました。菅首相は①各国選手らにワクチンが無償で供与される②各国選手らと一般国民が交わらないよう滞在先や移動手段を限定する③選手は毎日検査を行うなど厳格な感染対策を検討する-と列挙した上で、「こうした対策を徹底することで、国民の命や健康を守り安全、安心の大会を実現する、そのことは可能と考えており、しっかり準備をする」と答えました。東京五輪開催の見直しはまったく考えていない、ということです。
 このブログの以前の記事でも紹介しましたが、マスメディア各社の世論調査では、東京五輪を予定通り今夏に開催するべきだ、とする回答は20%台で、中止や再延期を求める回答の合計に比べ圧倒的に少数です。五輪の開催強行は、それ自体が新型コロナウイルスによる災禍を激化させる恐れがあるだけでなく、日本社会の民意に反するという点でも、見直すべき段階に来ているのではないか、とわたしは考えています。
 以前の記事では、菅首相や大会組織委の「何があっても開催する」との強硬な姿勢を、第二次世界大戦末期に本土決戦論を主張した日本の旧軍部になぞらえました。連合軍に一撃を加えた後でなければ講和はできない、との主張には、その本土決戦後の日本の惨状への想像力が明らかに欠けていました。本土決戦が自己目的化していました。同じように、五輪大会開催を強行した後に日本社会がどうなるのか、とりわけ医療がどうなるのか、菅首相や大会組織委の言動からはその確固としたイメージを持っている様子はうかがえません。やはり想像力を欠いているのではないかと感じます。無観客もいとわず、日本社会と各国の選手との交流も断ち切った状況で大会を開催して、それが五輪精神の実現と言えるのか。開催が自己目的化しているのではないでしょうか。76年前、本土決戦が回避され、そこから日本が復興を遂げたことは歴史の教訓です。

※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

 最近、「この状況でも、あくまでも開催なのか。中止の選択肢は考えないのか」との疑問がいっそう強まるニュースがマスメディアでもいくつも報じられています。後世への記録の意味もあると考え、いくつか書きとめておきます。

 ▼「ぼったくり男爵」来日見送り
 米紙ワシントンポスト電子版が5月5日、日本政府に対し五輪大会中止を促すコラムを掲載しました。
 ※共同通信「米有力紙、日本に五輪中止促す IOC批判『開催国を食い物』」=2021年5月6日
 https://this.kiji.is/762850499815833600?c=39546741839462401

this.kiji.is


 目を引いたのは以下のくだりです。

 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び、新型コロナウイルス禍で開催を強要していると主張。「地方行脚で食料を食い尽くす王族」に例え、「開催国を食い物にする悪癖がある」と非難した。

 特に「ぼったくり男爵」の訳語を充てた共同通信の翻訳に対して、ネット上でも共感の声があるのを目にしました。
※「ワシントンポスト バッハ会長を『ぼったくり男爵』呼ばわり 『ぼったくり男爵の語呂の良さよ』」
 https://matomedane.jp/page/76575?

matomedane.jp

 ワシントンポストの原文を見てみました。
 https://www.washingtonpost.com/sports/2021/05/05/japan-ioc-olympic-contract

www.washingtonpost.com

 書き出しに「Baron Von Ripper-off」があり、「Von Ripper-off, a.k.a. IOC President Thomas Bach」とも書かれています。「rip off」は「法外な金を取る」の意、「von」はドイツ語圏で王侯や貴族の称号に使われる前置詞とのことです。バッハ会長がドイツ出身であることを意識した強烈な皮肉のようです。「a.k.a」は「also known as」の略で「~としても知られる」の意味ですので、直訳すると「ぼったくり男爵、またの名をIOCのトーマス・バッハ会長」といった感じでしょうか。
 この呼び方が強烈で目を引くのですが、コラム全体の論旨はひと言で言えば、新型コロナウイルスの世界的な大流行、パンデミックの最中に五輪大会のような巨大イベントを強行することの不合理性を指摘するものです。そして日本が開催を中止できないのは、IOCに有利な契約に縛られているためだとして、IOCとバッハ会長を痛烈に批判しています。
 筆者はサリー・ジェンキンスというスポーツコラムニスト。日本の新聞にここまで書く、書ける人は、スポーツ紙を含めても稀有ではないかと思います。
 この少し前、5月3日にも米紙サンフランシスコ・クロニクル電子版がやはり「東京大会は開催されるべきではない」とするコラムを掲載した、とのニュースもありました。
 ※共同通信「米紙、東京五輪開催すべきでない コロナ禍長期化『時間足りない』」=2021年5月4日
 https://this.kiji.is/762126983589183488?c=39550187727945729

this.kiji.is

 そのバッハ会長は5月17日からの来日が調整されていましたが、緊急事態宣言の延長で見送りとなりました。4月21日の記者会見では、東京の3度目の緊急事態宣言への見解を問われ「ゴールデンウイークに向けて、政府がまん延防止のために行う事前の対策だと理解している。東京五輪とは関係がない」(共同通信)と述べたと報じられました。日本社会の民意、世論とあまりにかけ離れた感覚です。

※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

 バッハ会長の来日見送りの背景には、開催強行への疑念が高まっている世論をさらに刺激することを避ける判断もある、との指摘も報じられています。大会まで残り2カ月余りとなっているのに、IOC会長が開催地で最終的な準備状況を確認できないというのは、それ自体が極めて異常なことのように思います。

 ▼医師ボランティア募集にうかがえる「思い上がり」
 五輪大会を開催するとなると、そのために医師や看護師らの医療従事者を確保しなければなりません。既に海外からの観客は入国させないことが決まり、さらに無観客で実施するとなれば、必要とされる医療従事者はその分だけ減らすことができますが、それでも滞在する各国の選手や役員らのケアのために、相当数の要因を手当てする必要があります。東京でも大阪のような医療態勢のひっ迫が懸念されているというのに、いったいどこにそんな医師や看護師がいるのか、はなはだ疑問です。
 大会組織委員会はスポーツ医の資格を持つ医師からボランティア200人を募っている、と報じられました。
 ※毎日新聞「スポーツドクター200人『無償で』 募集した五輪組織委に批判」=2021年5月3日
  https://mainichi.jp/articles/20210503/k00/00m/050/065000c

mainichi.jp

 しかし、NHKによると、希望者は半分以下にとどまっているとのことです。
 ※NHK「『スポーツ医』の五輪ボランティア希望者 募集の半分以下に」=2021年5月8日
  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210508/k10013018371000.html

www3.nhk.or.jp

 調査を受けた30代の医師は「新型コロナウイルスで経験したことがない非常事態になっているのに、オリンピック第一で現場を見てくれていないと感じました。内科も外科もさらに忙しくなっている中で同僚を残して現場を離れることは難しい」と話しています。

 募集要項を見た会員の医師は、「勤務先の病院や医師への報酬もなく、感染症が流行している地域で活動するのか、いつ検査を受けられるのか、すぐに職場に戻れるのかといった情報も示されないことに憤りを感じます」と話しています。

 NHKが紹介している医療現場の医師のコメントからは、大会組織委と医療現場の意識の乖離は埋めようがないほどに大きいことがうかがえますし、組織委はこと五輪に限ってはすべてに優先する特別の扱いを受けて当然だと考えているのではないか、と感じます。そうだとすれば、それは思い上がりですし、日本社会の民意や世論と遊離するのも仕方がないのかもしれません。そんな状態のまま大会開催を強行して、後に何がレガシーとして残るのでしょうか。

 ▼自衛隊の政治利用
 五輪開催のためには、日本国内で新型コロナウイルスのワクチン接種が進むことが必要です。そのための対応として、菅政権は国の直轄で東京・大手町に大規模な接種センターを設置し、首都圏1都3県の高齢者を中心に、1日1万人のペースでワクチン接種を進める計画を表明しました。運営に当たるのは自衛隊です。
 計画の正式な表明は4月27日。参院広島選挙区の再選挙と参院長野選挙区補欠選挙、衆院北海道2区補選の3選挙で自民党が全敗した25日の2日後です。3選挙で示された菅政権批判を何とかかわそうと、事前に十分な検討がないまま、唐突に打ち出された計画ではないか、とわたしは感じました。

※参考過去記事 

news-worker.hatenablog.com

 夏に向かって暑くなる時期に、都心のビル街に連日、1万人もの高齢者を集めること自体、ふつうに考えて実現可能なのか疑問です。高齢者を広域で移動させること自体、新型コロナウイルス対策の基本から外れています。より感染力を強めていると指摘される変異株が広がっている中では、なおさらです。また、自衛隊にそれだけの接種をまかなえる医官や看護官はいるのでしょうか。
 そんなことを考えていたら,アエラドットに次の記事がアップされているのが目に止まりました。
 ※AERAdot.「『1日1万人接種は自衛隊次第』河野大臣の”丸投げ”発言に自衛隊から怒りの声」=2021年5月7日
 https://dot.asahi.com/dot/2021050600077.html?page=1

dot.asahi.com

 河野太郎ワクチン担当相がテレビ番組の中で、本当に1日1万人の接種が可能かを問われ「自衛隊が検討している」「自衛隊に任せたい」などと発言したことへの波紋を紹介する記事ですが、大規模接種センターの設置自体への疑問の声も紹介しています。

 官邸周辺関係者がこう語る
「官邸のトップダウンの指示に何とか対応しようと現場が奔走している中、河野大臣の丸投げ発言はあまりに酷い、と防衛省幹部は嘆いています。防衛省では現在、全国にどれだけの医官、看護官をセンターへ派遣できるか、聞き取り調査を行っているのですが、地域医療をも支える自衛隊病院から引き抜くわけにもいかず、部隊の医務室に医官や防衛医大の大学院生を何とかかき集めようとしています。実はそれでも人員が全く足りず、1日1万人と大々的にぶち上げたものの、実際は非現実的で無理という声が出始めています」

 前出の自衛隊OBはこう語気を強めた。
「自衛隊は有事に国を、人命を救うのが仕事だと自負しています。昨年の2月にコロナ感染が集団発生した大型クルーズ船『ダイヤモンドプリンセス号』で約2700人の自衛隊員が動員されて医療支援を行ないました。ただ今回のワクチン接種が自衛隊の任務と言われることには疑問を感じます。もし、大規模接種センターでの接種がうまく機能しなかった時に自衛隊に責任を押し付けるのはやめてもらいたい」

 やっぱりそうか、との感想を持ちました。菅政権による自衛隊の政治利用ではないでしょうか。

 ▼「もはや『詰んだ』状況ではないのか」(東京新聞)
 コロナ禍のこの状況で、菅政権も組織委も、あるいは東京都も、何があっても五輪は開催する、との姿勢を貫くつもりなのでしょうか。ただちに中止を決めるかどうかは別としても、少なくとも中止を選択肢に含めて検討すべきなのではないでしょうか。それが民意、世論にも沿うことです。
 第2次世界大戦の末期、昭和天皇の敗戦受け入れの表明で本土決戦は回避されました。現代の日本社会では、そのような絶対権力はありませんし、あってはならないでしょう。重要なのは民意、世論の高まりです。そのためには、今、何が起きているのか、何が問題なのかが社会で広く共有されることが必要です。マスメディアの組織ジャーナリズムの役割がここにあります。
 このブログでも何度か触れてきましたが、東京五輪大会には全国紙5社と北海道新聞社が公式スポンサーに名前を連ねています。各社それぞれに、大会の開催の是非についても社説で触れています。公式スポンサーだからこそ、意義も大きいと思います。

 一方で、公式スポンサーではない東京新聞(中日新聞東京本社の発行)の、そのものずばりの見出しを掲げた記事が目に止まりました。
 ※東京新聞「東京五輪、もはや『詰んだ』状況ではないのか 高まる一方の中止論『早く目を覚まして』『即刻決断を』」=2021年5月8日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/102934

www.tokyo-np.co.jp

 今夏の東京五輪開催をめぐり、中止を求める声がさらに強まっている。元日弁連会長の宇都宮健児氏が立ち上げたインターネット上の中止要望の署名は、開設から2日で22万筆(7日午後6時現在)を超え、まだ増加中だ。米有力紙は国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長を「ぼったくり男爵」と痛烈に批判した。緊急事態宣言も5月末まで延長。もはや「詰んだ」状況ではないのか。

 長文の記事の小見出しを拾っただけでも「『救える命が救えていない』」/「バッハ会長の来日も暗雲」/「遅れが目立つ国内のワクチン接種」と、確かに「詰んだ」状況です。最後の段落は「中止のシナリオも政局を念頭?」の小見出しです。

 これだけマイナス材料がそろう中、政治ジャーナリストの泉宏氏は「菅首相も小池知事も中止のシナリオを考えているだろう」と語る。ただそれは「ポスト五輪の政局を念頭に置いたもの。『中止を切り出すと世論が自分になびくか』『中止しても権勢を保てるか』が焦点になっているはず。機を見るにたけた小池知事の場合、6月の都議選告示を前に五輪中止と知事辞職を打ち出した上、世論の関心を引きつけて国政復帰という道筋まで思い描いているかもしれない」とみる。

 菅首相も小池知事も、なぜこんなにもかたくなに五輪中止の選択肢を受け入れないのか、多くの人が疑問に感じていると思います。マスメディアの大きな取材課題、報道テーマだろうと思います。

 ▼76年前の日本本土進攻計画「オリンピック作戦」
 前述の通り、菅政権も組織委も東京都も、開催一辺倒で中止を選択肢にすら入れようとしない状況は、わたしには第二次世界大戦末期に旧軍部が本土決戦論を主張していたことと重なってみえます。米軍を中心とする連合軍が計画していた日本本土進攻は、まず南九州に上陸し、次いで相模湾、九十九里浜から関東地方に上陸するという2段構えだったとされます。そのうちの南九州上陸は「オリンピック作戦」という名称が付いていました。何という符合か、と思います。
 76年前のオリンピック作戦は回避され、多くの人命が救われました。そこから戦後の復興がありました。新型コロナウイルスへの対応はしばしば戦争に例えられます。東京五輪についても、人類がウイルスに打ち勝った証しとして開催するのだと、安倍晋三前首相も菅首相も繰り返し口にしてきました。ならば実際の戦争の歴史的な教訓にもしっかりと目を向けるべきだろうと思います。今は、社会資源を新型コロナウイルス対策に注ぎ、救える命を救うべき時です。コロナ禍からの“復興”は、そこからしか始まりません
 ※参考 ウイキペディア「ダウンフォール作戦」 地図の出典も

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【追記】2021年5月10日8時30分
 読売新聞とJNNの2件の定例世論調査の結果が報じられています。東京五輪開催の是非に対しては以下の通りです。

■JNN世論調査(5月8、9日)
「通常通り開催すべきだ」  2%
「観客数を制限して開催すべきだ」 13%
「無観客で開催すべきだ」  20%
「延期すべきだ」  28%
「中止すべきだ」  37%

■読売新聞調査(5月7~9日)
「中止する」 59%
「観客数を制限して開催」 16%
「観客を入れずに開催」 23%

 選択肢に「延期」がない読売新聞調査では「中止」が59%にも上っています。JNN調査でも「延期」と「中止」の合計は65%。民意、世論の大勢は、やはりこの夏開催の見送りを求めています。

 

【追記2】2021年5月10日22時15分
 NHKの世論調査結果も報じられました。東京五輪の開催については以下の通りです。
■NHK(5月7~9日)
「中止する」 49%
「無観客で行う」 23%
「観客の数を制限して行う」 16%